第389回
お金は小さな器から溢れ出ます

小谷正一さんの話の続きですが、
私と知り合いになった頃、
小谷さんはラジオ・ビデオ・ホールの
プロデューサーでした。
次に会った時は大阪テレビの専務として
テレビ局の開設に従事していました。
そのあとは大阪万博のプロデューサーでした。
会う度に名刺の肩書きも違い、
やっている仕事も違うので、
檀一雄さんから「邱さんに似たところがありますね」
とひやかされたことがあります。

そう言えば、肩書きこそ変わらないけれども
私もしょっちゅうやることを変えます。
小説を書いていたかと思ったら、
食べ物の話に変わっているし、
文明批評を書いていたかと思ったら、次は株式評論です。
その度に話題になったので、
ジャーナリズムでは目立ったのでしょう。
でも私は冗談半分に
「小谷さんとよく似ていると言われますが、
 1つだけ違うところがあります。
 小谷さんのプロデュースしたプロゼクトは
 終わると取り払われて消えてしまうけれど、
 私はやった仕事を変わる度に少しずつ財産がふえます」

これには小谷さんも
「1つだけの違いでもえらい大きな違いやなあ」
と苦笑していました。
何しろ万博の童話館の予算だけで20億円かかり、
その7%をプロデュース料としてもらいましたから、
1億4000万円の収入です。
当時としては常識をこえた金額ですから、
出費を惜しまないと言っても、
倹約次第ではかなりのお金が残ります。

他人事ながら、人間はいつかは年をとるのですから、
収入のなくなった時のために備えるようにすすめました。
小谷さんが同意したので、
私はその中から2000万円ほど先取りして、
月に25万円ほど収入のある不動産を買ってあげました。
それだけあれば全く無収入になっても
安心だと思ったのです。
でも電通時代の部下がお金の無心に来たら、
結局、そのビルを売り払って部下にくれてやりました。
お金を容れる器の小さい人は、
小さなお金でもポケットからすぐに溢れて
消えてしまうんですね。
でもお金がなくても
力の入った生き方をしているのですから、
まあ、いいや、
と笑って見ているよりほかありませんでした。
 


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2001年4月3日(火)

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