第220回
寄るとさわると上司の棚おろし
「西遊記」の原作はかなり退屈なものですが、
それでも「三国演義」「水滸伝」「金瓶梅」と並んで
中国の4大奇書の1冊に数えられています。
科挙の試験で首席になるような天下の秀才は
役人として出世をし、栄躍栄華の生涯を送っていますが、
ほとんど名を残していません。
反対に体制の間尺に合わず、
役人にもなれなかった落第坊主たちが
筆のすさびに書いた物語が
今日、中国を代表する文学作品として残っています。
中国の文化とは落第坊主の文化なんです。
呉承恩の「西遊記」もその1つですが、
三蔵法師の大唐西域記にヒントを得て、
孫悟空をはじめ海千山千の化け物たちを総動員して
天の涯まで思う存分、駈けまわらせたのは
明代の文人としては画期的なことと言ってよいでしょう。
でも現代を生きている私たちから見ると、
どうしてもチグハグに見えてしまうところが
2つばかりあります。
1つは作品全体を流れている勧善懲悪の思想です。
500年前は佛教のそうした思想を
何の疑いもなく受け入れる人が多かったかも知れませんが、
いまの人はどう考えても
そんなに天真爛漫ではないでしょう。
「史記」の作者司馬遷だって
「自分の見るところ悪い者ほどよく栄えている」
と言っているくらいですから、
骨組を変えないと現代人に受け入れられないだろうと
私は思ったのです。
もう1つは孫悟空、猪八戒、沙悟浄のような
海千山千の化け物たちが
お経をとりに行くという共通の目的があるとは言え、
困難な道中でそう素直に世間知らずで
ゲイボーイに毛の生えたていどの
三蔵法師のいうことをきくという設定には
どう考えても無理があります。
だから私の「西遊記」では化け物が3匹集まると、
たちまちお師匠さまの棚おろしになります。
しがないサラリーマンが寄るとさわると、
社長の悪口を言うのと同じです。
そういう道中がえんえんと続くのですが、
読者にとっては身につまされるところもあるので、
何とか5年4ヶ月も持ったんだと思います。
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