第117回
情報に精通すると智恵者に見えますよ

劉備が三顧の礼で諸葛亮孔明を迎える気を起こしたのは、
孔明が天下三分の計を進言したからだと言われています。
2回わざと留守にして、
3回目に誠意のほどを示された時、
孔明が掌をひらいて見せるように、
天下三分の計を説いたのは、
孔明が天下の情報に通じていたからできたことです。

なぜ居ながらにして天下の情報に通じていたかというと、
商人たちが物を売り込むために
孔明の家まで押しかけてきたからです。
中国語に賣という字と賈という字があります。
賣とは店に来たお客に物を売ることを言い、
賈とは商人がお客のところに
物を売りに行く訪問販売のことを言います。
昔から貧乏人は自分から必要な物を買いに行きましたが、
金持ちのところへは
商人の方が売り込みに行ったんですね。

商人たちは諸国をまわって
物を仕入れたり売り歩いたりしたので、
それぞれの国の実情に通じていました。
彼らが物を売りに来ると、
孔明は根掘り葉掘り諸国の事情をきいたので、
ふつうの人よりは天下の情報に通暁して、
どこの国の王侯が人民に人気があり、
どこの領主が人心を得ていないかわかっていたのです。
いまならインターネットで
さまざまの情報が吸収できますが、
昔は商人たちの見聞が唯一の情報源だったんですね。

孔明はそうした情報源をちゃんと押さえていたので、
魏の国がどうなっているか、
呉の国がどうなっているのか、
将来の天下をどういう形にすることが可能か、
予測することができたのです。
さんざ苦労をした末に
漸く成都に入ることに成功した時も、
劉備は前の領主であった劉璋の部下たちを
全部そっくり抱え込みました。
自分の入蜀に反対した重臣たちまで重用したので、
抵抗にあうどころか、
短期間に人心を掌握することができました。

そういった点ではいまも昔も
あまり変わりはないでしょう。
昔の人の知恵を借りたい人は
「三国志」くらい読んで下さい。
日本人にはさしずめ
吉川英治の「三国志」をおすすめします。


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