第92回
外国に夫婦茶碗はありません

日本語の生い立ちから見る限り、
日本は身分制の社会であり、
階級の別がかなりはっきりしていたのですね。
敬語があったり、男言葉があったり、
女言葉があったりするのを見ても
そのことがわかります。

殿様の子供は殿様だし、
サムライの子供はサムライになります。
苗字帯刀といって、商人や百姓がとり立てられて
士分になることもありますが、
原則として商人の子供は商人、
百姓の子供は百姓というのがきめられたコースでしょう。

それが明治以降、四民平等になり、
サムライがいなくなって、
役所に勤める人と大会社に勤める人が
禄をはむ身分ということで、
サムライと入れ代わりました。
第二次世界大戦後になると、
身分制は更に崩壊し、華族制度もなくなって、
実力本位の社会に変わりました。
実力があれば、百姓の小倅が総理大臣にもなれるし、
大会社の社長にもなれるし、
また事業を興して日本一の
高額所得者になることもできるようになったのです。

でも過去の身分制や階級制は
全く解消したわけではなく、
組織の中や生活の中に根強く残っています。
たとえば、殿様や家老や藩士や足軽の秩序は
そのまま會社組織の中に生き残っているし、
男女の区別がすっかりなくなってしまった今日でも、
デパートの陶器売場に行くと、
夫婦茶碗といって、
男と女の茶碗が大小になったものを売っています。

世界中どこの国に行っても、
男の茶碗が女の茶碗より大きいという区別はありません。
そういうプレゼントを持って中国に行ったら
中国人の女性からドやされるにきまっています。
女の人の方が長生きなのは万国共通ですが、
女の方が大食いというのも珍しくはないのです。

そういう世界的な傾向に
さすがの日本も抗しきれなくなって、
サラリーマン的階級組織すら崩れかかってきました。
もうあと一息で敬語や言葉の性別も
日本語から消してなくなってしまいそうですね。





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