家を建てて売る建売業者や土地の仲介をする不動産業者はもとよりのこと、商売をする小売業者もすべてこの動向に注意しないわけには行かない。たとえば、スーパーが地方都市に進出する。駅前の商店街に店をつくろうとしてもスペースがないし、商店街の顔役たちがこぞって反対するから、駅裏の砂利置場か材木置場のようなところを買うことになる。駅前の地価が坪五〇万円なら、人通りのない駅裏の土地はせいぜい五万円か一〇万円であり、しかも五〇〇坪、一〇〇〇坪という単位で入手することができる。駅裏に適当な地所のない街は、少し離れた田圃の中にスーパーを建てることになる。
スーパーは大量仕人れ、大量販売に徹し、しかもワンストップで日用品の大半を入手できるから、人を集めるだけの魅力を持っている。今時、田舎の人で自動車を持っていない人はないから、充分なパーキング・スペースさえあれば、遠くからでも買物客がやってくる。すると、スーパーに集まってくるお客を相手に、スーパーで売っていないような商品を扱えば商売が成り立つから、スーパーの周辺に新しい商店街ができてくる。気がついた頃には人の流れが変わっており、新興の商店街には人が溢れ、旧商店街は客が寄りつかないから見る影もないほどさびれてしまう。地価も新興地帯は五万円だったのが一〇〇万円になり、旧商店街は五〇万円だったのが逆に三〇万円でも買手が見つからない、という状態におちいってしまうのである。
私は職業柄、地方講演に出かけることが多く、全国各地を歩いているので、駅の真ん前がさびれたり、またいままでの繁華街がさびれて、駅裏のさびしかったところにビルが林立したりする光景にしばしばぶっつかる。住宅街についてもほぼ同じ現象が見られ、「あ、この街はこの方向に向かって発展しているな」ということがすぐ目につく。私がもしその街で商売をやるか、住宅を構えるなら、新しく発展して行く方向の、まだ人家もまばらな地域に土地の手当てをする。値段が安いうちに買っておけば、すぐ空間が埋まって人も多くなるし、地価も短期間に値上がりしてくることは目に見えているからである。
ところが、その土地に長く住んでいる人は街の事情をよく知っているし、自分の住んでいる定位置から物を見るくせがついているから、どうしても新しい変化を承認しようとしない。
「そんなことをいったって、俺たちは昔からこの店で商売をやってきたんだ。それでちゃんと飯を食ってきたんだ」
と頑同に抵抗する。
いくら抵抗してみても、人が通らなくなったところで商売はできないから、だんだん干上がって行く。たまたま世界的な同時不況の時だけに、商売のうまく行かないのを不況のせいにして、自分たちだけが置き去りにされていることには、頬かぶりをしてしまったりするのである。
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