同じ一つの現象についても見方がこんなにも分かれる。しかもその見方によって対応の仕方も違ってくるから、一歩間違えたら倒産に追い込まれることにもなる。どちらが正しい見方であるかについては間もなく答えが出てくるが、うっかり新聞にのっている情報を鵜呑みにするわけにはいかない。情報を提供する人に情報に対する正しい判断がなければ、情報そのものも正確には伝わってこないからである。
してみると、情報には「生きた情報」「役に立つ惰報」もあれば、頭の弱い人間の頭の中を混乱させるだけの情報もある。生きた情報はすぐれた解説者の口や筆をとおしてきこえてくる場合にだけ信用できる。
それらの人々は波の高低にとらわれずに、「潮の流れ」を見ることのできる人たちだからである。
私が「潮の流れ」といったのは、たとえば「工場の自動化」という流れには、「生産事業から他の産業への労働人口の移動」という流れを派生させる。豊かな社会への流れは、貧乏人を水面より上に浮かびあがらせ、未来の収入を担保にしてお金を使うという新しい流れを生む。
またインフレという流れは、借金をして不動産に投資したり、債券を売って株に移るという新しいお金の流れを生む。
そういった流れの変化はさまざまの商売を駄目にし、またさまざまの商売を新しく成り立たせるようになる。だから「流れ」が見えるような情報でないと「役に立つ情報」とはいえないのである。
たとえば、万博やオリンピックを目あてにホテル・ブームがおきたことがある。これらの催しを一つのきっかけとして、期日に間に合うようにホテルを完成するのは決して間違いではないが、万博やオリンピックが終れば人が散ってしまう。ホテルは祭りが終わったあとも営業しなければならないのだから、ホテルを建てるか建てないかをきめるのは、人の流れが時とともにふえて、常時どれだけの宿泊客が見込まれるかという判断であって、万博やオリンピックで集まってくるお客の人数ではない。
一発勝負の商売でない限り、判断の基礎になるのは「潮の流れ」であって、「波の高さ」でないことがおわかりいただけるであろう。 |