小谷さん自身、安芸の宮島の鳥居をつくった人をその例にあげている。
「日本三景の中で、松島と天橋立は自然の絶景であるのに対して、宮島だけは海の中に鳥居が一つ立っているだけでしょう。海の中に鳥居を建てたのは誰かときいても、文献を調べても、誰の発案になったものか知る人はありません。でも、海の中に鳥居を建てようといいだした人があるはずだし、海の中に鳥居を建てて何の役に立つんだ、といって反対した人もあるはずです。また、海の中に建てようと思えば、満潮のたびに仕事を中止しなければならないから工事ははかどりませんよ、といって難色を示した人もあったはずです。しかし、そうした反対意見があったにもかかわらず、よし、面白いからひとつやって見ろ、といってゴーのサインを出した長老の人もいたはずです。
そういう人たちの消息は一切、後ろにかくれてしまって、海の中に鳥居を建てるというアイデアだけで、宮島が日本三景の一つになり、何十万何百万という観光客をひきよせ、お土産屋や食堂をはじめ、何万人という人たちを食べさせています。こういうアイデアを出しながら、自分の名前を人に気づかせない人こそプロデューサーのカガミだと思います」
と小谷さんはいう。
小谷さん自身、少しでも名前が出てくるとすぐに意識的にそれを打ち消しにかかったのだが、その仕事の過程を見ていると、いつも何か手がけていたことが完成すると、それを事業として成り立たせることを拒否し、その事業から収益をあげたり、財を築くことには参画しなかった。それというのも、一つのアイデアを事業化してそれに長くとりつかれていると、「アイデアの泉」そのものがお留守になって、涸渇するおそれがあったし、何よりも事業のもつマンネリ性にあきたらなくなったからであろう。
新聞記者からあがったというせいもあるけれども、新聞の記事は新聞に載った瞬間からもう古くなって行く。新しいもの新しいものと追いかけて行けば、古いものは自然、捨て去り、忘れ去るよりほかない。
だから小谷さんの扱ってきた事業は、オイストラッフやマルセル・マルソーを日本へ呼んでくるいわゆる呼び屋からはじまって、万博の住友童話館や戎大黒さんの賽銭をどうやったらふやせるかというアイデアに至るまで、終わってしまったら影も形もなくなってしまうものばかりである。
「考える過程が面白いんで、あとに何も残らないほうが、かえって後腐れがなくてよろしい」
と小谷さんはいっているが、アイデア商法もこれだけ徹底するとスポンサーには困らなくなる。実現可能なアイデアで、しかも儲けたお金の分け前を欲しがらないとくれば、お金を出したい人はいくらでも集まってくるからである。
なぜ私がこういうところへ、突然、こういう話を持ち出してきたかというと、世の中の大半の人たちは、「自分の商売がうまく行かないのは元手がないせいだ」と思い込んでいるけれども、事実はそうではないのだということを立証したかったからである。
商売がうまく行かなくなるのはアイデアが不足しているからであって、お金が不足しているからではない。商売についての物の考え方が時世にあわなくなれば、業績が不振におちいるのは当然だし、したがって利益も出なくなってお金が不足してくる。すると、どうしてもお金の不足ばかり目について、お金さえあれば問題が片づくような錯覚をおこしがちである。しかし、お金の不足は結果であって原因ではない。お金が不足するから商売がうまく行かないのではなくて、頭がないから商売がうまく行かないのである。
そういうことがわかるようになれば、人間はもう少し謙虚になり、自分の失敗を他人のせいにしないですむようになるのである。
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