ハダカになればこわくない
一体、ハダカになるのがそんなに恥ずかしいことなのだろうか。またそんなに怖ろしいことなのだろうか。人間は怖ろしがっていることがあると、必ずのようにその怖ろしい目にぶつかってしまう。「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」というが、ハダカになる覚悟をするとかえってハダカにならないですむし、救いの手をさしのべてくれる人も現われるから、ハダカでふるえる期問が短かくてすむ。まして昨今のように、健康な身体と働く意志さえあればどこでも職にありつくことができるが、再起のチャンスを狙うことは不可能ではないのである。
倒産とは何かというと、お金を借りた相手と物を仕入れてまだお金を払っていない相手に迷惑をかけることである。その中には、自分の使用人や家族も、もちろん含まれている。相手に迷惑をかければ、迷惑をかけられた相手がまたどこかに迷惑をかけることが考えられる。これを連鎖倒産という。倒産が連鎖倒産をよぶかどうかは相手の財力によるが、どっちにしても倒産とは一人の人もしくは一つの企業が担うべきことを、前後左右の人たちに替わりに担わせることである。
だから、倒産がたいへんなことは事実としても、社会全体で見た場合は、帳簿に書き込む数字や税務署に支払う金額が変わるだけで、表面はどこも変わらない。会社が倒れても会社の建物が倒壊するわけではないし、会社の機能は一時ストップするかもしれないが、社会全体の生産がストップするわけではない。だから昨今のように、不景気で倒産の多いときでも、そのとばっちりを受けなかった人にとってはたいしたことではない、と私は思っている。
問題は、その当事者になった人たちの受けるショックである。自分が担うと約束したことを相手に担わせるのだから、自分の尻ぬぐいを人にやってもらうことになる。単なる商取引きの相手にすぎない人であっても、長いつきあいの過程で顔見知りにもなっているし、信頼関係もある。だから、他人に迷惑をかける時点で、どういう迷惑のかけ方をするかによって、人の受ける印象は当然、違ってくる。
栗田工業の創業者であった栗田春生さんは、粉飾決算で訴えられ、社長を引責辞任したが、検事が調べると社長の家にカラーテレビもなかった。もとよりかくし財産のあろうわけもない。裁判官も心証をよくして、結果は執行猶予で片がついたが、一般の債務者と債権者の間においても、同じようなことがいえる。
どうにも逃げ道がなくなったときに、人は自分名義の財産を親戚の名義に書きかえたり、会社の現金を持ち逃げしたりする。人情として避けがたいことであるけれども、いくらかくしても、どさくさのかくし金などたかがしれている。
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