豊かさの中にひたった社会
一番はっきりと世の移り変わりを私たちに見せてくれるのは、次から次へと出版される新雑誌の洪水であろう。毎日、新聞をひらくと、必ずのようにはじめて名前をきく新雑誌の広告が出ている。最近は平均して一年に二〇〇冊の新雑誌が発刊されているそうである。どうしてそういうことになったかというと、古い雑誌が今の人の気風にあわなくなって、だんだん売れなくなってきたからである。
昭和二十九年、私が作家になろうと思って香港から東京へ出てきたときは、まだ『キング』もあったし、『講談倶楽部』もあった。『世界』などという進歩的文化人の雑誌は特に勢いがあった。そのあと華々しく登場してきた『ミセス』とか、長く不敗を誇ってきた『文藝春秋』だって最近は凋落の傾向を見せている。新聞社のつくる週刊誌は戦前からあったが、新しく登場した雑誌社の週刊誌や、まったく戦後の新産物といってよいマンガ雑誌だって、栄枯盛衰の歴史を辿っている。
いまここで転換期がきたというのは、社会が変わり、その社会に住む人々の生活感情に変化をもたらしたからである。この変化を一言でいうならば、「貧乏から離陸する社会」から、「豊かさの中にひたった社会」への変貌であろう。豊かさの中にひたるようになると、着る服から食べるもの、旅行に行く先からやりたいと思うことまで変わってくる。したがって、そういう情報を伝えるジャーナリズムの内容が真先に変わってこなければならないが、資産家が必ずしも時代の変化に適応できないように、既存の大出版社が必ずしもうまく読者の要求に対応できるとは限らない。
そこで、「適者生存の法則」が支配して、岩波書店や平凡社のような往時の一流出版社の衰退ぶりが目につくようになる。次に、大出版社の経営者の中で目はしのきく連中が、適応力を失った編集スタッフを入れかえて、趣向をかえた新しい雑誌を出す。この中には明らかに他社のマネと思われるものも少なくないが、「なあに、かまうことはない。IBMのアイデアを盗んでも、IBMよりも売れるようになればいいのだから」という威勢のよさに支えられているから、そのバイタリティだけでちゃんと物になっているものもある。
第三は、新入りの登場であろう。新入りの中には、編集者となってこの道に入った者が新しく経営者の仲間入りをしたというのもあれば、まったくの他業種から殴り込みをかけてきたものもある。いずれも、既存の業者たちの持たないアイデアと才能があれば、ちゃんと出版業界の一角に橋頭堡を築くことができる。
成功の可否はいつに、「豊かさの中にひたった社会」の生活者の需要の変化をうまくキャッチできるかどうかにかかっているが、これが予想外に難しい。したがって、一冊の雑誌を成功させるために、億単位の資金を投じながら、年に二〇〇冊創刊される雑誌の中で、ちゃんと採算のあう雑誌として残るのはだいたい五冊くらい、つまり確率はたったの二・五%ということになる。それでもなお次から次へと新規参入が続くのは、「時代に合わなければ生き残れない」といういろんな商売の中で、ジャーナリズムは一番精度をきびしく要求される商品の一つだからであろう。
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