8. 損に耐える修練が必要
夜も眠られない失敗体験
お金儲けには誰でも興味をもっている。だから、雑誌を見ても本を読んでも、お金の儲かりそうな話や、大きなお金をつかむことに成功した人の話がよく出てくる。
私たちが仕事をはじめるときも、お金がどれだけ儲かるか、という想定の下に仕事をはじめる。というより、はじめからお金の儲かりそうにない事業には手を出さないから、およそ事業という事業はすべて、お金儲けのスケジュールの上にのせられて動いているといってよい。
ところが、お金儲けは必ずしもスケジュール通りには運んでくれない。お金が儲かるつもりだったのが損をしたり、このくらいの損ですむと予定していたのが二倍も三倍も損が大きくなったリする。また競争相手が出現したり、新種の商法が考案されたりすると、今まで儲かっていた商売がみるみる凋落して、赤字を出すようになる。損を予想していないときに発生する損については、あらかじめ覚悟ができていないから、誰しも周章狼狽してしまう。
大きな会杜で傭われ社長をやっている人は、赤字になっても自分のふところのお金が減るわけではないから、平静でいられる。そういう会社は資金も豊富だし社会的信用もあるから、金繰りも比較的容易で、ピンチの間も何とかもちこたえられる。幸い出血対策がうまく効を奏し、景気も恢復して業績がもち直せば、心配はただの杞憂に終わってしまう。しかし、いくら対策を講じても、業績が元へ戻らない企業もある。そういう企業の前途には、倒産か経営者の交替か、吸収合併のいずれかが待っているが、どの場合も経営者の選手交替が起こるだけで、敗軍の将としての不名誉は残るとしても、傭われ社長の個人的な損害はあまりない。
ところが、中小企業になると社長即オーナーであり、会社の借入れ金には社長の個人保証がついており、なかには社長の個人の住宅まで担保に入っている人もあるから、いったんいけないとなると、全財産を失う危機に曝されてしまう。夜も眠られないような目にあわされることは、昨今のような経済情勢になると、必ずしも珍しくはないのである。
私自身、夜も眠られないような目にあったことが、これまでに二度ほどある。一回目は昭和三十九年の不況のときで、私が建てた二軒目のビルのテナントが思うように集まらず、銀行に返済を約束していたお金が返せなくなったときである。
私が株に手を出したのは昭和三十四、五年頃で、それまでは実業とほとんど縁がなかったから、借金のことで頭を痛めることがなかった。ところが株式投資に手を染めて、「成長株理論」で多少の成功をおさめたのをきっかけに、株で儲けたお金で土地を買ってビルを建てはじめた。
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