まず砂利の採掘権といっても、割当てでもらったものだから、県の河川局の監督下にあり、いつでも採取量をコントロールされる弱いものにすぎないことがわかった。しかも、権利を持っている人間を社長にし、その株式も私のほうで立替えて払い込んだが、経営能力のない者はどうにもならない。金の出し入れは不明朗だし公私の区別すらつかない。しまいにはお妾さんまで現場につれてきて、そのサラリーも払ってくれという。ついに堪忍袋の緒が切れて社長のクビを切ったが、とたんに、鉱区のない宙ぶらりんの会杜になってしまった。
次に、建設会社の社長は一手に買ってやると請け合ってくれたが、現地の出張所長にかけあうと、言を左右にしてなかなか買ってくれない。あとになってわかったことだが、この業界の取引きにはリベートが常識になっていて、業者は出張所長に何がしかの袖の下を使う。ところが、私のところのように社長から紹介してきた人には、あからさまにリベートの要求もできず、うっかり下手に要求して社長に告げ口されては一巻の終わりである。だから、君子危うきに近寄らず、と敬して遠ざけられてしまったのである。
第三に、東京周辺が砂利不足になれば、トラックが鬼怒川まで砂利を運びに来ても引き合うようになると予想したが、この予想はあたらなかった。東京で砂利がなくなると、業者たちは静岡県の富士川あたりから船で東京湾に運ぶようになり、船のほうが大量に運べて運賃も安いので、栃木県の砂利は値段もあがらず、滞貨の山となって売れ残ったのである。
鉱区の問題は、隣接する鉱区の所有者と共同作業をすることによって何とか解決したが、砂利が思うように売れないとなると、たちまち手形の支払いに困るようになった。毎月、一二〇万円の手形の期限が近づくと、常務として私がよその会社からきてもらった青年から催促の電話がかかる。
当時、私は株の先生になって兜町ですっかり有名になっていたが、この支払いのために、毎月、株を売らなければならなくなり、「下手すると、兜町で稼いだ金を全部鬼怒川に叩き込んでしまうことになりかねないぞ」と心配になった。
私は半年くらい手形の支払いを続けたが、考えてみると、私が一人で資金繰りに奔走するのは理屈に合わない。
相手は上場会社であり、しかもこちらの大株主なのだから、関西工機も分相応に手伝うのが当たり前であろう。そう思ったので、私は「以後の手形はそちらで面倒見て下さい」と下駄を向こうに預けてしまった。
ちょうどその頃から関西工機の財務内容が目立って悪化したので、二、三回は手形の買戻しをしたようだが、とうとう関西工機そのものが不渡りを出して、株式市場から姿を消してしまった。連鎖倒産で砂利会社のほうも不渡りを出して、銀行から取引きを停止されてしまったのである。
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