だから、「資本がなければ」というのは無能力者のざれごとということになるが、いくら能力のある者でも、社会に大きな変革の起こる時期でなければ、とても短期間に大企業の創業者にのしあがることはできなかったであろう。
いま考えてみると、二十年余り前、私が小説家でありながら、株の話や利殖の話に筆を染めはじめたときは、日本に大変革の起こりつつある時期であった。私は技術革新を原動力として日本の工場が発展するのを見越して、次のチャンピオンになるであろう成長企業は何かということを指摘し、その株式を取りあげて推奨したが、日本の高度成長はちょうどこの時期からはじまった。昭和三十五年には池田勇人内閣が成立してすぐ「所得倍増論」を提唱したが、その時分、ダイエーはまだ店が二軒しかなかったし、イトーヨーカ堂は三五坪の店が一軒だった。
つまりスーパーの発展は、日本の高度成長を背景としてはじめて可能になったのである。
工業が発展すると人口が工業に集中する。メーカー業は臨海工業地帯に工場を建設する一方、日本国中に人を派遣して従業員の募集をする。若者たちは学校を卒業すると同時に、大都市もしくは周辺の工業団地に集団就職をする。工業の発展する地域に人が移動するから、同じ日本国中で、過密地帯と過疎地帯が出現する。工業はまた高賃金で他業種から人を引っこ抜こうとするから、農業と商業も人手不足が次第に顕著になり、農業では三ちゃん農業が、商業ではスーパーの勃興がはじまる。
むろんスーパーは、人手不足だけが原因で繁盛するようになったものではないが、社会全体としての人手不足が起こらなければ、あれほどのスピードであれほどのスケールにはならなかったのではあるまいか。
というのは、スーパーのはじまりは安売り屋であるが、安売り屋のスタートする時点では、小売屋との軋轢は絶えなかった。たとえばJR田町駅(東京都港区)前に「まや」という電気製品の安売り屋があったが、ここのオヤジさんはたった四坪の店で年に一〇億円も商売をするようになったが、その過程で何度も街の電気屋さんに包囲されて脅迫を受けた。また電気屋が集団を組んでメーカーに圧力をかけ、出荷を停止させた記録も残っている。安売り屋が街の電気屋の商売を奪い、生存をおびやかすと受けとられていたからである。
同じことがスーパーの進出に対して、日本国中の地方都市で発生した。もし同じ時期に、商売から工業への人口移動が起こり、国全体が人手不足に見舞われるようなことが起こっていなかったとしたら、商売で飯を食う人たちは自分の生存権を守るために、死にもの狂いでスーパーと闘ったに違いないのである。
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