なかでも、「省エネ」と「無人化」という新兵器を考案して企業の蘇生に力を貸した機械産業と電子工業には人気が集中し、今なお好決算が続いているし、株価も空前の高値を記録している。その一方で、最終消費の伸びは著しく鈍化し、スーパーやデパートの小売業も商売が萎縮し、レストランやバーのような水商売でさえも不景気をかこつようになって、明暗が逆転してしまったのである。
私はよく頼まれて講演に行くが、依頼先の企業によって、前座をつとめる社長さんたちの挨拶がまるで違うことに、いやでも気がつかざるを得ない。たとえば、スーパーやデパートの会合に行くと、皆、物が売れないことを枕にして話をはじめる。建設業や建材業者も同じである。ところが、工作機械メーカーや機械販売業の集まりに行くと、「ことしは折柄の好況で、当社もおかげさまで当初の目標を達成することができました」というような挨拶の言葉がとび出してくる。まったく同じ時期に、同じ日本の国の中で、業者によってこんなにも明暗を分けるようになったのだから、経済の構造は昔とかなり大きく変わってきたと考えざるを得ないのである。
こういう現象を一体、どう位置づけたらいいのであろうか。私は景気のデコボコを景気の波と見るよりも、新旧の波の押し合いと見たほうがよいのではないかと思っている。戦後も三十何年たって、これだけ豊かになってくると、生活物資の売行きが鈍化してくる。ことに一〇〇万トンのタンカーからインスタント・ラーメンに至るまで、需要さえあれば、直ちに供給できるような生産体制が整ってくると、設備投資は一巡し設備投資ブームによる景気恢復はあまり期待できなくなる。だからもし石油ショックのような強烈な刺激がなかったとしても、恐らく世界中の景気は同じように低迷するようになったであろうし、世界市場を相手に商売している日本も、その例外ではなかったであろう。
つまり、国家財政の支出を主軸として、公共投資や福祉予算で景気を刺激する方式で約五十年続いた経済体制は、終わりに近づいており、その過程で奇跡的な発展をしたとはいえ、日本の高度成長経済も、ほとんど時を同じくして、一巻の終わりに来た、と見るのが正しいのではなかろうか。
そこへ石油ショックが襲ってきた。もともとどん詰まりまで来ていたケインズ体制が、ここで一挙に矛盾を露呈することになった。今や、「インフレ」「国家財政の大赤字」「福祉の重荷」「失業」は、世界中どこを歩いても必ず見られる共通の病状であり、資本主義の先進国ほどそれが重症であるから、起死回生の秘薬でも発見しない限り、世界的な不況に見舞われることは当然、避けられない。一九二九年のような大恐慌が起こらないですんでいるのは、五十年前に比べると、富の分配がかなり平均化したし、雇用保険があって失業率が拡大しても需要の激減がないし、また景気に対して国家が常に神経をとがらせているからであるが、実は、「睡眠薬の飲みすぎのままで不眠症におちいるようなこと」が起こっているので、いっそう始末が悪いともいえるのである。
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