成長経済のツケが……
昭和二十年代に学校を卒業した人々は、まあ、就職の難しさを知っているだろう。昭和初年代、足を棒にして仕事をさがして歩いた人々の心境は、今日、私たちは文学作品を通じてのみしか窺い知ることができないが、私を含めて終戦後を知っている人なら、多少は自分でその体験をしている。二十年代の日本では、「四つの島に九〇〇〇万人の過剰人口」「食糧もなければ、資源も資本もなく」「一人死んでもそれだけ口減らしになるから、自殺も忠君愛国だ」と思われていたのである。
それが三十年代になると、日本人の誰もが気がつかないうちに高度成長がはじまり、三十五年に池田勇人が首相になって「所得倍増論」を打ち上げた時を契機として、日本経済の奇跡的な成長が世界中の注目を浴びるようになって、この時期に、就職をした人や新しい仕事をはじめた人々は、一時代前の人々から見たら、まったく想像もできないほどチャンスに恵まれ、職をさがす人も、職をあたえる人も、また自分で商売をはじめる人も、「労働力の売手市場の中で」時代にあった対処の仕方をしてきたのである。
まず職をさがすのは、そんなに難しいことではなくなった。ただし、自分にあった職業を見つけることができたかどうか、ということになると、かなりよりどり見どりができる状態の下においてすらなお、疑問が残る。また新しい商売をはじめた人や、親のあとをついで家業についた人でも、三十年代以降は、相当、手ごたえのある商売ができたのではないかと思う。経済が全体として成長している時は、パイ全体が年とともに大きくなっていて、国民の一人一人がその分け前にあずかることができたからである。
経済の成長している時は、あまり大した努力をしなくとも、売上げは年に二〇%や三〇%はのびる。インフレがあるから、黙っていても、販売価格があがり、賃上げや間接経費の上昇した分をそれで補うことができる。また銀行から金を借りて土地や不動産を買っておいたのが三倍にも五倍にもあがるから、返済は容易になり、気がつかないうちに、財産ができている。
むろん、その反面、時代遅れになって淘汰されてしまう商売もある。考え方そのものが時代遅れで、淘汰されてしまう人間もある。しかし、そういう人間でも成長経済時代にはほかに拾ってくれるところがあったし、商売が駄目になった場合は、ほかに転業することも可能であった。ことに、国民所得が年々、ふえ続けている時は、新しい需要が次々と生まれてくるから、新しい商売の可能性があり、転業はそんなに困難ではなかったのである。
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