いまアジアの国々の為替投機に従事している資金も、また世界中の株式市場を動きまわっている投機資金も、アメリカ政府によって濫発されたドルがめぐりめぐって人々のふところに入り、世界中の銀行や機関投資家のもとに集まったものと考えて間違いないだろう。
これらの巨大な遊資は、産業の開発や発展にも投じられれば、産業の破壊や倒産にも猛威を振う。自国内で生産しても採算に乗らないと見るや、アメリカは変り身早く国内生産を断念して海外からの輸入に切り替えたが、アメリカヘの主たる供給国である日本や台湾や韓国などでは生産基地を東南アジアや中国大陸に移動した。
その際、日本は自国資本を持ち出す立場だったし、台湾はもともと中小企業が大半を占めているから資金の借り入れには極端に警戒心を持っていたが、韓国の海外進出は海外からの借入金に依存した大財閥の仕組みをそのまま海外まで延長したものであるから、いざ東南アジアで通貨不安が起ると、将棋倒しの損害を蒙ることになった。
東南アジアにおける成長経済の破綻は、ある意味で、韓国型産業資本の小型版といえるかもしれない。韓国は日本に侵略され、その統治下におかれた苦い体験があるので、外資による産業支配には極端に神経質になっている。
そのため外資の進出に対してはさまざまの制限を設けているし、とりわけ日本企業に対しては、きびしい態度で臨んだ。技術移転は要求するが、企業の主導権は決して渡さないという虫のいいやり方だったし、株式市場への外資の参加もアジアの国々では一番後廻しになった。それでいて、アメリカをはじめ、韓国の経済成長を見込んだ各国からの資金提供の申し出があると、すぐそれにとびついた。
もう二十年も前のことになるが、その頃、韓国の財閥のオーナーたちに招かれてソウルにしばしば出かけた私は、アメリカの銀行がそれらの財閥に資金提供の申し出をしているのを目の当りに見せられて、日本と韓国との間には見られない新しい関係だなとびっくりしたことがあった。韓国は工業の生産技術は日本から導入したが、そのための資金は広く海外に仰いだのである。日本の銀行は、日本の進出企業のあとに続いたのではなく、アメリカの銀行のあとにおそるおそるついて韓国入りをしたのである。
東南アジアの場合は、日本の企業も積極的に進出したし、地元の政府も日本企業の進出を誘致することに熱心だったから、企業と銀行が行動を共にした。しかし、どこの国も外国企業に国内市場を支配されることを極度におそれたから、企業進出にはさまざまの制限を加えたし、株式市場への海外からの投資にも一定の枠を設けた。その一方で海外からの借入金にはさほどの制約を加えなかったので、ほとんど無制限に外国資本が流入する結果になり、海外からの借入金によって設備投資が行われることが珍しくなくなった。
これらの借入金には企業が直接、外国銀行から借り入れたものもあれば、国内銀行を通じて間接に借り入れたものもある。なかには上場企業が起債して外国の銀行や基金を通じて個人や法人に引き受けてもらったものもあるが、いずれも期限つきの借入金である。そのうえ一年期限の融資を更新していくケースも少なくない。 |