第四は趣味道楽である。洋蘭を植えるのも刀剣を集めるのも、また、かまどを築いて陶磁器を焼くのも趣味道楽である。私は、カサブランカに行く飛行機のなかでサハラ砂漠に撮影に行くカメラ同好会の連中と一緒になったことがあるが、中国で黄山に登ったときも山の上で年配のおばちゃんたちが首から重いプロ用のカメラをいくつもかけて険しい崖っぷちを走りまわっているのに出食わした。彼女たちが首にかけていたカメラだってけっして安い物ではなかったし、アフリカや中国まで趣味のために撮影に出かけて行くとなれば、旅費だってそのへんにハイキングに行くのとはわけが違う。
だから何とか狂と呼ばれる趣味人たちを相手にすれば、人数がそんなにいなくとも立派に商売になる。ただし、釣り竿を売るにしても、骨董品を売るにしても、売るほうが買うほうよりもプロでなければ商売にはならない。
第五は健康と美容である。健康は誰でも留意しなければならないことであるが、老齢化がすすめば社会全体の関心事になる。私はいまでも一カ月に一回は定期検診に行くが、行くたびに患者がふえて待合室は足の踏み場もないようになっている。これだけ患者が溢れているのに病院が赤字になっているとすれば、明らかに経営に欠陥があるからであろう。
医者が病院を経営するのではなくて、経営システムがあって医者がそこで患者を診るのが病院のあるべき姿であろう。アメリカには上場している病院のチェーンもあるのだから、日本もそれを見習うべきであろう。
また美容については、美しくなることへの関心は強くなっても弱くなることはないから、エステティックや美容室の商売は衰えることはない。化粧品の商売も景気不景気と関係なく不況のさなかでも強気の商売ができている。
第六に教養とか文化とか、成人教育が事業として成り立つようになったことである。日本では麻雀や株式投資まで文化教室の守備範囲になっているようだが、豊かになるにつれてオトナたちが自分の知識や技能を磨くためにお金を払うようになったことは間違いない。講習会とか読書もそうした知的訓練の一環だから、本とかCDとか教育ビデオのようなソフトにはそれなりの需要が期待できる。
以上、一から六まではいずれも体験とか、ソフトとかいった類いのものであって、形のある物を売っているわけではない。そうした物の形をしていないものに皆が喜んでお金を払うようになったおかげで、ヒツト商品を手がければたいへんなお金を稼ぐようになった。そういう分野の仕事が物を売る商売に代替するほど大きく成長すれば、それが経済界のお金の流れを完全に変えてしまうことが考えられる。
そうした体験産業やソフトウエアが景気不景気を左右するくらい大きくなれば、物と同じくらいの経済効果をもたらすから、物が売れないくらいのことで一国の経済がへこたれるようなことはなくなる。しかし、問題は一から六までが十分に育つ以前に、第七位にまでおちこんだ物品販売業が産業界全体にピンチをもたらすことである。デパートやスーパーの売上げが完全におちこみ、新しくできた郊外型ショッピングセンターすらお客を集めきれないとすれば、内需はいちだんと萎縮してデフレ症状を起し、経済が長期低迷することは避けられなくなる。このまま萎縮をしつづけたら、高度成長で世紀の奇跡と謳われた日本がその黄金時代に終りを告げて、かつて世界に覇を唱えたスペインやポルトガルが衰亡した二の舞いになることもありえないことではない。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ