死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第107回
固定観念のバカバ力しさ

ふりかえって考えて見ると、
いまのような結婚制度にしても、
そんなに歴史の古いものではない。

一つの制度が定着すると、
昔からそういうしきたりが続いてきたように
錯覚を起しがちであるが、
少し前までは足入れ婚というのもあったし、
平安時代の小説など読んでいると、
男の方が女の家にかよう母系家族の時代もあったのだから、
男と女の暮らし方などいろんなやり方があっても
少しもおかしくないのである。

むしろ、いまは多様化の時代だから、夫婦百景どころか、
千景あっても、万景あってもよいのではあるまいか。

ところが、人は固定観念にとらわれがちだから、
自分の常識に反した事態にぶつかると、
つい拒否反応が先に立つ。

髪の毛の流行など一番わかりやすい例だと思うが、
十何年前に長髪が世界的に流行したことがあった。
どこのオヤジも息子の長髪にはムカムカした。

息子の寝ている時に鉄を持ってきてチョキリとやり、
大喧嘩になった家もある。
シンガポールでは不良の象徴として長髪の入国を禁止し、
飛行場に鋏を備えていた。

入国したかったら、
鋏を貸すから洗面所に行って自発的に切って来いと指示された。
私に同行した青年で、それを強制された者もあった。

台湾でも、長髪を禁じ、街で長髪の男の子を見かけると、
警察が強権を発動して床屋まで拉致して行った。

或る時、無理矢理連行した若者の頭髪を切ろうとしたら、
カツラだったというエピソードが新聞に載っていたこともある。

私は流行に対するオトナたちのこうした反応を見て、
人間の持つ固定観念のバカバ力しさに改めて目を見張った。

日本人は明治維新の時までは、
チョンマゲを結っていたのだし、
中国人だって民国革命のついこの間まで
辮髪を垂らしていたのである。

あの時代に人々は短髪になったことに
どれだけ抵抗を示したことか。
それが僅か百年か五十年たっただけで、
ただ見慣れないというそれだけの理由で、
「タカが髪のことで」
警察までわずらわさなければならないようなことが起るのである。

この一例をもってしても、
既成の常識をもって新しい変化の価値判断をすることが
如何に意味のないことであるかがわかる。

まして昨今のように生活の条件が刻々と変化しているのに、
古い社会制度や美俗良風と目されたものが
ブレーキとして作用するのではブレーキそのものが風化して
役に立たなくなってしまう。

この意味で、私たちが常識として受け入れてきたしきたりは、
この際、改めて総点検する時期にきたのではないかと思う。





←前回記事へ

2012年3月24日(日)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ