死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第104回
別れ話には金がからむ

離婚の理由が何であれ、
いざ離婚の問題が持ちあがると、
途端にお金が顔を出すようになる。

まだ子供が幼い時分ならば、
子供をどちらが引きとるかも大きな争点のーつであるが、
晩年になってからの離婚なら、
子供たちは既に一人前になっているか、
少なくとも高校生以上にはなっているから、
さして問題にならないだろう。

あとはお金だけということになるが、
どちらにとってもいまいましいのは、
お金に対する相手側の態度である。
夫婦の争いの大半はお金に起因すると言われている。

ケチも喧嘩のもとだし、
お金にだらしがないのも喧嘩のもとである。
お金に対する夫婦の態度が全く同じというのは減多にないもので、
一方が締まり屋だったら
もう一方は気前がよくて、それが原因で争いは絶えないが、
実はそれでうまくバランスがとれている面もあるのである。

もし二人ともケチで世間のつきあいもできないようなら、
友達がいなくなってしまうし、
二人とも桶の底が抜けたようにザアザアやってたら、
家計がもたなくなってしまう。

だから、喧嘩をしながら、
やって行くくらいがちょうどよいのであって、
お金で争わない家庭はないと言ってよい。

しかし、基本的に共通の地盤で暮らしている
という意識のある間はいいが、
一旦、別れ話になると、
そうした相手の欠点が
ーぺんにクローズ・アップしてくることも事実である。

うちでも、茶飲み話に女房がよく、
「結婚前、あなたは大して財産がなかったのだから、
いまある財産は二人でつくったものでしょう。
だから、もし離婚することになったら
半分は私がもらって行きますよ」と言う。
私は女房の言い分に対してその度に必ず訂正をする。

「半分あげることに異議はないけれど、
しかし、財産をつくるについての働きが半分というのはどうかな?
僕の評価では三分の一くらいだと思う。
だからあなたの貰う分は全体の三分の一だと思うが、
年をとってからまた相手を探したり、
お金を稼いで行くのに、女は男より不利だから、
あとの半分はオマケとしてあげますよ」

広い世間には、嵐 寛壽郎のように、
女と別れる時は、一緒にいた間に稼いだお金は
全部そっくり女にあげて、
自分は身一つで出て行くというアッサリした男もある。
それに比べると、私など気前がよい方とは言えないが、
しかし、日本の離婚の統計を見ると、
二人に一人は亭主から財産分与も慰謝料ももらっていないし、
協議離婚でもらっている女の人の半数が
百万円以下という数字が出ている。

裁判まで持ち込んで家裁の調停を受けた者は、
協議離婚の倍くらいはもらっているが、
それだって女の人が生活して行ける金額には程遠い。
だからキリの方に比べれば、
かなり気前のよい方だと自負しているが、
いざ実際に別れ話になったら、
はたして前言撤回にならないですむものか。

『ニコニコ・スッキリ離婚術』
(円より子著・日本実業出版社刊)という本を読むと、
男は女からお金も何も要らないから
別れさせてほしいと言われると却って侮辱と感じるから、
お金を要求した方がよいとすすめている。

お金も何も要求されないと、
自分一人が無視された感じがするが、
お金のことが出てきて途端に、
「卑しい奴だ・この女はやっぱり俺の財産を狙っている」
と相手を批難するロ実が見つかるからである。

つまり冷戦をやっている間は、さまざまの不平不満があるが、
お金の問題が出てくると、
一挙に白熱戦化する。

お金の話になると、愛想がつきて、
別れ話が却って進展するというのである。

これは、男の側が「男の見栄」や「世間体」にこだわって
なかなか承知をしない場合に、
離婚を促進するためのテクニックであるが、
「お金の話を出せば百年の恋も冷める」とすれば、
女に限らず男の側でも、離婚の決心をしたら、
話をお金の一点に集中して、
お互いに火花を散らすようにすれば、
離婚は案外早く実現するかもしれない。

お金の話は別れ話の促進剤になるのである。
しかし、ひるがえって、
別れ話に際して日本の女たちが
実際に渡される慰謝料と財産の領の何と少ないことよ。
百万円以下という僅かな涙金でおとなしく引き下がるとすれば、
一人の男がもらう退職金よりも遥かに少ないから、
これではたして女が暮らして行けるのだろうかと心配になる。

女の立場が弱いから、慰謝料がそんなに少ないのか、
それとも日本の女は実は想像以上に生活力があって、
慰謝料がなくてもやって行けるのか、
恐らく家庭における主婦の役割が
正当に評価されていないから不当に扱われているのだと思うが、
今後、このままですむわけはないであろう。

税法にも、そのきざしは見えており、
さきに妻の名義で不動産を買っても
贈与と見なされて課税をされたが、
いまは二十年以上経っておれば、
妻に対する贈与には或る程度、
免税措置がとられるようになった。

また相続に際してかつては妻の取り分が三分のーだったのが
二分のーに改善されたし、
妻の取り分については無税扱いになった。

ただーつ配偶者控除がいまだに二十九万円で、
妻の働きはお手伝いさんの
それにも及ばない評価のされ方をしているが、
こういうところに案外、
女の地位に関する
日本の男たちの本音がひそんでいるのかもしれない。

日本人が対米貿易の正常化交渉の過程で、
相互主義に猛反対をし、もっぱらオレンジや牛肉の割当量といった
枝葉末節にアメりカ人を釘づけにしているように、
日本人の男は百万円か二百万円の涙金のところに、
女の注意をひきつけて、基本的な問題の解決を
1日延ばしにしているように、私には思われてならないのである。





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2012年3月21日(木)

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