死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第93回
社会を変えた女性の職場進出

女性の職場進出は、
工場などの生産事業で女子労働を
必要とするようになったこともあるが、
家庭電化が進んで女性が
家事労働から解放されるようになったことと深い関係がある。

”女工哀史”の昔から、
若い娘たちは働きに出ていたが、
女性は嫁に行くと、職場から退くのがふつうであった。
「お嫁さん」もまた職業のーつであったから、
「女工さん」から「お嫁さん」に転職したのである。

「女工さん」の時は、自分でお金を稼いだが、
稼いだといっても賃金は低かったし、
家へ仕送りをしたりしていくらも手元に残らなかった。

「お嫁さん」に転職すると、
収入の道はご主人が講ずるから、
「お嫁さん」の方は、
ハイハイと言って指図された通りにやっておればよかった。

夫婦の関係は、世間の風潮とは無関係な面もあり、
夫婦百景ともいうように、
いろいろとバラエティーに富んでいるから、
どこのうちも同じというわけにはいかない。
男性主導型の時代だって、
女性の方がずっと才覚があり、
カカァ天下の家もあったし、
奥さんが財産の管理から商売のことまで
一切取り仕切っていた家もある。

しかし、亭主関白であるかどうかはともかく、
主人の言いなりになることに
不満や抵抗を感ずる女性も決して少なくはなかった。

そういう女性は、一つには経済的な独立がなく、
仮に離婚をしても実家へ出戻る以外に方法がなかったし、
もうーつには、子育てが終って、
子供たちが一人前になった頃には、
はやもう五十の坂を越えて、
「人生五十年」ももう終りになりかけていた。

だから不満を爆発させたり、
自己主張をはっきり打ち出すチャンスのないままに
人生を終ることが多かったのである。
決して自分の人生に不満を持っていなかったわけではないと思う。

ところが、家事から解放されたことと、
経済界が男と女の分けへだてなく、
労働力の不足に悩むようになると、
「お嫁さん」に就職しないでも、
そのまま職を続けることが社会的に容認されるようになった。
女性が働くというのは、貧乏だから共稼ぎに出るのではなくて、
豊かになると、女性の働くところが増えて、
もっと賛沢な生活をしようと考えるようになるのである。
その典型がアメリカである。

アメリカは他のもっと所得の低い国々に先駈けて、
女性が働くようになったし、
それと並行して、家庭電化も進行した。
すると、他の如何なる国に比べても、
最も激しい勢いで離婚率が上昇し、
従来の形の家庭が崩壊の兆しを見せはじめた。





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2012年3月10日(日)

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