死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第90回
引き際のタイミング

経団連とか日経連とか、
大企業の社長を退いた人たちが集まって、
政府の御意見番をするような組織があるが、
あれなどは「養老院」としてはトップに属するし、
頭脳のゲームをやる老人の娯楽設備としても、
よく考えてつくられたものであろう。

ただそういう財界OBが日本を代表して国際会議に出席すると、
他の国々では現役のバリバリが出席しているから、
話がトンチンカンになって行き違いが起る。

元老院の国際会議なんて聞いたことがないから、
やはり国内問題にとどめた方が安全であろう。

その点、本田宗一郎さんが選ばれてなった
売春対策審議会の会長というのは、
放蕩の限りをつくしてきた男にはお似合いである。

学歴のない本田さんには政府委員などはお呼びでなかったけれど、
この分野だけは「学識経験者」として
選ばれた分野だと豪語できるし、
「但し自分のバイシュン体験は買う方であって、
売る方ではないよ」と大へんお気に召している様子でもある。

また本田さんはフランスに行って、
シャガールを訪問した時の話を何かに書いていた。
会社を辞めてから、私の家に遊びに来られたことがあるが、
「会社をクビになってから」(本田さん自身の表現)も、
そうブラブラしているわけでない。
昔はジャンパー姿だったのが
背広にネクタイといういでたちに変ったが、
ずっと社交的になって、結構楽しそうな毎日である。

あれは「引き際の哲学」を持った、
しかもそれを実行する勇気を持った男でなけりゃ
できない芸当だなあ、と改めて感心させられた。
「男の幸福とは何か」、を考える時、
必ず引き合いに出されておかしくない人の一人であろう。

そういう目で見ると、
引き際のタイミングを失った
その他諸々の人々、哀れでもあり、一きわ貧弱にも見える。
「経済」的動機は人生を生きる上で最も大きなものであり、
かつ長期に持続するものであるが、
五十歳過ぎてもまだ「美学」と「哲学」を持たないで、
「経済学」だけを
たよりに生きている人くらい情けない奴はいない。

仕事のためならともかく、夜の食卓や、
食後の酒を傾ける席上で、
そういう人たちを話の相手に選ぶ気になれないのは
私一人だけではあるまい。





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2012年3月7日(木)

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