死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第89
本田宗一郎の美学

世の中には、見事な辞め方をしたいと考えていても、
「後継者がいないから辞められない」とか、
「会社の業績が悪くて退くにも花道がない」 と言って、
ズルズルぺったりになっている人がたくさんいる。
そういう人たちに比べたら、
本田宗一郎・藤沢武夫コンビの退陣劇は、
幸せの極致とも言えるし、
何とも運の強い役者の引退興行だという印象を受ける。

私に言わせると、引き際には「美学」のほかに、
もうーつ「哲学」というものがある。
二十年前に、財界を若返らせるには結婚斡旋所でもつくるか、
と冗談を言って笑いあった本田さんであるが、
そのご本人が自ら電光石火の速さで後進に道を譲る挙に出た。

自らが創業者社長であり、
しかも社業は順調なのだから、死ぬまで現役でいたとしても、
誰からも文句を言われる筋合ではない。

それが自分の手で幕を引くのだから、
人生に対して「美学」を持った男だということがわかる。

本田さんの引退の決意を聞いて、
「俺をおいて行くな」と同時に引退した副社長の藤沢武夫氏も、
同じように大した役者である。

二人共、会長でも相談役でもなく、
きれいさっぱりの退陣だから、
こんな引き際を見せつけられたら、
少しでも美意識を持った人なら
誰だってウーンと喰ってしまうだろう。

日本人には「刹那の美」を追求する習性があるから、
引き際の見事さには当然、拍手が起る。
しかし、刹那主義だけで人生は続かない。

死ねばあとがないからよいが、辞めたあとも、
人間は、死ぬまで心を充実させて
生きて行かなければならない。
そのためには、辞めることについての哲学と、
辞めたあとをどう生きるかというノウハウが、
どうしても必要である。

先ず「哲学」が「経済学」に優先しなければ、
とても社長は辞められない。
辞めたあとも生活に困らないから
辞められるのだと言う人があるかもしれないが、
辞めたあとに別の人生があって、
次の人生は今までの人生に負けないだけの値打ちがある
という自信がなければとても辞められるものではない。
またお金や権勢に見切りをつけ、
自分の欲望を自分で抑制できるだけの克己心も心要であろう。

次に、檜舞台から退いたあとの人生をどう過ごすか
という心構えとノウハウが必要である。

第一線から退いたあとに、
経済活動の余地はもうあまり残されていないが、
「後進の世話をする」とか、
「団体のとりまとめ役をする」とか、
「社会のためになる仕事をやる」
といった仕事はいくらでもある。





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2012年3月6日(水)

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