第87回
「美学」と「哲学」を優先すると
しかし、世の中の成功者たちがすべて「経済学」の徒で、
「美学」や「哲学」に欠如しているわけではない。
概して言えば、貧困に育ち、
奮闘の歴史を経て成功者の仲間入りをした人の中には、
ソロバン勘定を行動の基準にしている人が多い。
角栄さんはまさにそういう人の典型で、
出世する条件は大半揃っているのに、
美意識と哲学には欠けるところがある。
あれだけ理財の才もあり、
人をそらさない人使いの才もあるのだから、
范レイのように三たび財を散じて
三たび財をなすことも決して不可能ではないと思うが、
ナニワ節の好きなわりにはどういうわけだか、
美的センスが欠如しているのである。
ひょっとしたら、ナニワ節を情緒的にだけとらえていて、
美的角度から見たことがないのではないかと思われるほどである。
同じように引き際の哲学にも欠如しているように思う。
人生をーつのドラマと見るのは
中国人の最も得意とするところで、
「黄梁一炊夢」をはじめ、
唐代からの小説の中には、そうした教訓がみちあふれている。
栄耀栄華をきわめようと、
権力の最高峰までよじのぼろうと、
所詮、人生は夢まぼろしにすぎないのだから、
幕切れをどこにするかを考えないと、
みっともない幕切れになってしまう。
たとえ「経済学」をエネルギー源として
立身出世街道を駈けあがってきた人でも、
頂上をきわめるようになったら、
「美学」と「哲学」を身につけないと
カッコがつかないように思う。
もとより、世の中には田中角栄や池田大作のような「
経済学」の徒が一番多い。
私なども人からはそういう具合に見られていることだろう。
しかし、私の友人の中には、
「経済学」の方は全くお留守になっていて、
「美学」と「哲学」が優先した人生を送っている人も結構多い。
そういう友人を見ていると、共通した性格を持っている。
先ず第一に、仕事本位に物を考えていて、
報酬とか社会的地位を二の次に置いている。
お金がなければ動きのとれないことは知っているから、
お金を出してくれるスポンサーは探すが、
所有がどうなっているか、
分け前がどうなるかについてはあまりこだわらない。
第二に、自分の才能にたのむところがあり、
ある意味で、大へんな自信家である。
才能さえあれば、どこへ行っても食っていく自信があるし、
お天道さまが見放しはしないと思っているから、
お金や地位に恋々としない。
第三に、財力や社会的地位で人物の評価をしない。
社会的地位がトップになっても、
どうにもならないような俗物はわんさといるし、
反対にかくれたところに我が党の士はいくらでもいる。
価値観が違うのだから、社会の勢力図を描かせたら、
既成概念とはかなり違ったものができてくる。
第四に、自分の身のふり方にいろいろと神経を使う。
この会社につとめたら、
社長になるまで頑張ろうとか、
これだけの報酬がなければ仕事をやらないとか、
そういう考え方をしない。
人に笑われるような、みっともない生き方はしまいと
ふだんから身構えているから、
間違っても、社長の椅子にしがみつくようなことはしない。
第五に、お金とはあまり縁がないし、
したがってお金持ちにはならない。
もともとお金に括淡としているのだから
お金持ちにならないのは当然とも言えるが、
お金にこだわらないおかげで
サバサバした人生を送れるのだと自分でも思い込んでいる。
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