死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第57
熟年の地獄

不思議なもので、厄年が来ると、
人生に対する自信を失って、
お先真暗な時期がしばらく統く。

しかし、厄が過ぎると、
そんなことがあったのかと首をかしげたくなるほど、
ケロリとなおってしまう。

先輩からそう言われながら、
半信半疑で厄年を迎えたが、
本当にその通りの経験をしたので、
なるほど四十二歳は一つのくぎりなんだな、と了解した。

だから、定年は四十歳がよいと言ったが、
もちろん四十二歳をくぎりにしてもよい。
ただ昔の四十二歳は数えの四十二歳だから、
実質的には満四十一歳であり、
更に前厄とか後厄とか、早く来る人と遅く来る人があるから、
大ざっぱに四十歳前後と言ってもあまり間違いはないと思う。

この年の頃に、一ペん、自分で将来の生き方について、
方針を定めておくかおかないかが、
熟年以後に大きく影響するように思われるのである。

「人間、死ぬのは平均寿命の頃が一番理想である」と言ったが、
もとよりそんなにうまくはエンマ様も調子を合わせてはくれない。
もう死にたいと思っても、
生まれつき身体の丈夫な人もおれば、
なよなよしているくせに、
「柳の枝、風に折れず」のたとえ通り、
意外と長生きをする人もある。

長生きする人に、「お前、もうそろそろどうだ」、
と言うわけにもいかない。
しかし、長く生きても短く生きても別にさしつかえはないが、
生きている間、頭もはっきりして、
身体も健康であることが何よりも大切であろう。

どうやれば、死ぬまで心身共に健康でおられるかが、
生き方の最大のテーマであるということができる。
さきに「中年から以後の健康の秘訣は事業に失敗しないことだ」
と言ったが、これは事業家だけでなく、
サラリーマンにとっても同じようにあてはまる。

サラリーマンの大半は、企業にやとわれて、
事業に従事し、その成果はそのまま自分のポケットに入らずに、
企業のポケットに入ってしまうから、
危険負担の度合いが自営業者とは違う。

しかし、事業がうまくいかなければ、
左遷される心配もあるし、
鬱々として飯も喉を通らないことにおいては何の変わりもない。

反対に順調に仕事が運んでおれば
朝の寝醒めの仕方が違うし、ゴルフのクラブの握り方も違う。
そういう意味では、
たとえ会社の危険負担で仕事をやっている人でも、
最良の健康法は、同じように、
仕事に失敗しないことであろう。

ただサラリーマンの場合には、五十五歳とか、
五十八歳とか、もしくは六十歳で、
好むと好まざるとに拘らず、
仕事を中断させられる宿命が待っている。
これが「熟年の地獄」になるのである。

日本の大企業は、
株主が誰かわからないという大衆資本の上に成り立っているので、
経営者は下から押せ押せで押しあげられてくる。
一押しする度に、上の方が会社から押し出される。

社長は会長になり、会長は相談役になる。
実力会長というのがあって、社長を譲ったのは名のみで、
人事権もそのまま握っているような人もある。
松下幸之助さんのように実力相談役というのもある。

しかし、平均寿命が更に延びて、
毎年のように下から押しあげられてくると、
相談役も、そのうちに重役室のある
フォロアーに溢れてしまいかねない。

もし相談役になった人が、
現役時代にやっていたような仕事を一切やめて、
伊豆とか箱根に引きこもって
庭いじりでもしたりすると忽ち老化して呆けてしまう。

何のために経団連があり、商工会議所があり、
経済同友会があるかというと、
大企業の社長のOBたちに、
生き甲斐をあたえるためのものなのである。

日米貿易会議とか、日米賢人会議に、
日本側を代表して、こういう財界OBたちが出席する。

アメリカ側は、すべて大企業の現役社長か、
現職の役人たちが出席する。
だから、意見がチグハグになり、
日本人は原則論ばかり喋って、
具体的なことになるとさっぱりだと文句を言われているが、
老人たちに精神的な「陽なたぼっこ」をさせる場所を提供する
という意味で、
日本人はなかなか現実的で
巧妙な処世をする国民ではないかと思う。





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2012年2月2日(土)

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