死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第41回
賢い伝書鳩

この時の会場の模様を、
阿川弘之さんが『文芸春秋』五十七年二月号に執筆している。
一月のはじめに私は
花巻温泉の先にある金ヶ崎というところに講演に行き、
飛行機の便がなかったので、水沢に出て帰りの列車に乗った。
水沢駅の売店で出たばかりの『文芸春秋』を買って
パラパラとめくると、「賢い伝書鳩」と書いてあり、
何となく馴染みのある題だな、と思って読みはじめたら、
何とうちの息子の結婚式の話だった。
披露宴のあとの挨拶で、私は、
息子が子供の頃に飼っていた伝書鳩にちなんで、
「高い伝書鳩と安い伝書鳩」という話をしたのである。

二十年以上も前に書いた私の小説に出てくる話だが、
或る歯医者が早く隠退したいと思って、娘を歯科医大にやり、
あわよくば同級生を連れて帰ってきて家を継いでくれたらなあと
虫のよいことを考えていた。

ところが、まだ小学生である息子の方が伝書鳩にこっていて、
友達を連れてきて待合室で話をしているのを
何気なくきいていると、伝書鳩には一羽千円のものもあれば
一万円のもある、どこに違いがあるかというと、
一万円の鳩は空高くとびあがると、仲間を連れて帰ってくるが、
千円の鳩は連れて行かれるという。

それをきいた歯医者は愕然として、
自分は娘が婿を連れて帰ってくることばかり考えていたが、
うちの娘はひょっとしたら安い伝書鳩で
連れて行かれるかもしれないぞ、と思い至ったのである。

「うちの息子も、
小学生の頃は伝書鳩にこっていましたが、
はたして安い伝書鳩か、高い伝書鳩か、
父親の私にもまだわかりません。
安い伝書鳩なら、
このまま連れて行かれてしまう心配がありますが、
相手の家は岩手県で遠いですから、
道に迷って目的の家まで行けず、
六本木辺りをうろうろしているということも考えられます。
銀座というところはこの頃はもうハヤらないそうですから、
多分、六本木だと思いますが、
もし六本木でうちの息子がうろうろしているのを見かけたら
(ということは、
そちらもうろうろしているということだと思いますが)、
どうか早く家へ帰るよう忠告してください」

と私は結んだのである。
「安い」「高い」、と私が言ったのを、
阿川さんは「賢い」と書きなおしたが、どっちにしても、
この頃の息子は嫁をもらうのではなくて、
婿にやってしまうことが多いから、
父親にとっては、娘の結婚より息子の結婚の方が
神妙にならざるを得ないのである。





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2012年1月17日(木)

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