死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第32回
スピーチあれこれ

いわゆる名士に属する人たちは、
結婚式に招待されると、
必ずのようにスピーチを頼まれる。
名士でなくとも、当日の招待客のなかで、
VIPに数えられる人は、
お話をさせられることを覚悟しなければ、
とても会場には出かけて行けない。

こういう結婚式のスピーチは、
多分、日本にだけある風習であろう。
しかも、結婚式の結婚披露宴がうまく盛りあがるかどうかは、
いつにテーブル・スピーチの巧みさと、
式進行の妙にかかっているから、
頼む方も頼まれる方も、気が気でない。
慣れない人になると、指名された途端にしどろもどろになり、
「突然のご指名で……」というところからはじまって、
弁解だけで汗だくになり、許容時間の半分がすぎてしまう。

逆に、スピーチに慣れた人でも、
大学の名誉教授といった人々は、
現役時代に講義時間の埋め合わせのために、
話をひきのばす話術を身につけている人が多く、
しかも隠退後は、話をする機会に恵まれていないから、
この時ぞとばかりについ話が長くなる。
だから司会者は「スピーチの時間は三分だけですよ」と
予め念を押すことを忘れないが、
話をする方はそんなことはすっかり忘れて、
いつはてるともしれない長談義をはじめる。

もう故人になったが慶大の高橋誠一郎先生などは、
一人で三十分以上もやって、
前に坐った人がこれ見よがしに腕時計を見ても
一向に意に介さなかったそうである。

また地方都市などに行くと、
今でも政治家のセンセイをたてまつる気風が残っていて、
代議士のセンセイにスピーチをお願いする。
センセイの方でも、演説は慣れているから、
頼まれるのが当然と思っており、
得意になってスピーチをやるが、
自分のスピーチが終ると役割がすんだとばかりに
さっさと中途退席してしまう。
そうした政治家のスピーチをきかされたことが
再三ならずあるが、一般に政治家のスビーチは
下手クソの部類に属すると言ってよい。

どうしてかというと、政治家と言われる人々は、
さきにも述べたように常識の上塗りみたいな挨拶が多く、
まだ喋らないうちから何を喋るか、
わかってしまうようなことしか口にしないからである。
きいている人も、内心、バカにして
フンフンと鼻先で笑っているから、
いくら笑わせようとしても笑いにならず、
早く終らないかなと心待ちにされる。





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2012年12月25日(火)

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