死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第31回
喜ばれると後が辛い

いよいよ結婚披露もおひらきの寸前になって、
ホテルの人たちがお客のテーブルに引出物を持って行って、
一人一人、名前を確かめてから、小さな包みを渡した。
もらったお客の方では、名前を確かめられたので、
人によってくれるものが違うのだろうかと俄かに疑い深くなり、
一体何が入っているのかと心配になったらしい。

あとでご本人からきいたことであるが、
日本債券信用銀行頭取の安川七郎夫婦は、
家につくまで待ちきれず、鎌倉へ戻る電車の中で、
包みをほどいてみたら、ご本人にも、奥さんにも、
それぞれフルネーム入りの象牙のハンコが出てきたので、
びっくりしたそうである。

「うちの女房は自分のハンコをもっていなくてね、
僕の安川というハンコを実印に流用しているのですよ。
どうしておたくの秘書がうちの女房の名前まで
いちいち電話できかれたのか、やっと謎がとけました。
あのハンコは擦刻の字体も中国人ならではのなかなかのものだし、
女房もとても喜んで、早速、実印はこれに変えよう
と言って届けに行きましたよ」

当日、披露宴に参加してくれたお客の一人一人に対して、
その人のフルネームの入ったハンコを台湾の篆刻字に
彫ってもらって、飛行機で東京まで運んだのである。

おかげで、お礼の手紙をたくさんいただいたが、
四百何十名分もいちいち手彫りで彫るとなれば、
出席するかどうか、はっきりしない人の分も
全部つくっておかなければ間に合わない。
おかげで当日所用のため出席しなかった人の分も、
あとでみな郵送したが、しばらくたって、
本田宗一郎さんにあったら、

「とても立派なハンコをちょうだいして有難うございました。
女房が言うのに、あなた、これから色紙にサインしろ
と言われた時は、下手な字など書かないで、
このハンコだけ押しなさい、と言われているのですよ」

とおどけた表情で、お礼を言われた。

タレント業、文士業、及びそれに類する範疇にある
タレント社長たちには、象牙の代わりに、
石で四角い大きなハンコを彫っておかえしにしたのである。

あの引出物は傑作だったよ、と友人たちに喜ばれたのはよいが、
さて、うちにはまだ次男が残っている。

その次男の結婚披露引出物を何にしたらよいか、
いくら考えてもまだいいアイデアが思い浮かばないのである。
だからそれが思いつくまで当分、結婚はするな、
と次男に言いきかせているのである。





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2012年12月24日(月)

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