第268回
軽く見られる日本人
デンマークに住む日本人でも、
よく差別された話をする人に出会いますが、
私達はそう感じたことはありません。
私は、その手のことはあんまり気にしない性質で、
妻は軽く見られる方が居心地良い性質ということもありますが。
それに私は日本にいたときから、
元々初対面で軽く見られる傾向がありました。
そこで、欧州で再びそういう目にあっても、
人種偏見とは感じないのかもしれません。
レストランの食事の時でも、買い物でも、
何となく後回しにされる雰囲気があるらしいのです。
顔立ち、みなり、態度、雰囲気・・・
複合でそういうものを持っているのかと思います。
それとセットになっているのかと疑っていますが、
私の場合は、
どこの国でも子供が良くなついてくれることがあるようです。
おとなしい子や屈託のある子が特にその傾向があります。
カモに見られて都合がよいという賭博師のような人もいますが、
軽く見られるのは、人生では不利な事は多いです。
私は、商売などもできないように見られて、
これが見かけどおりなので、益々大変なのです。
そういうハンディがあってもやり方はありますが、
やり方の選択の幅は狭くなります。
特に西欧人の中には、東洋人だというだけで、
何となく頼りなく見えてしまう人もいるようです。
普通の日本人は図々しくないので、益々頼りなく見えます。
そこで、私の話を信用しないデンマーク人に
「私は少し足りないように見えるけど、
見かけほど馬鹿ではありません」
と、ニコニコしながら冗談を言うと、
相手は思っていることを当てられてビックリするのか、
笑い出だして打ち解けることもあります。
若く見られるのも軽んじられる原因だったのかもしれません。
あまり内容は変わらないのに、
いつの間にかあまり無視されなくなってきたことに
最近気づきました。
「日本人」というだけで有利なこともあったり、
人種偏見で得する面もあります。
欧州では宗教的、思想的偏見は残っていますが、
人種的偏見に固まった人は、すでに少ないのではないかと思います。
私の場合は、色々な人に出会って、
かえって今まで無かった偏見を
自分の中に育てないように気をつけようと思っています。
実際に外国人と出会って、
個人の欠点をその国の人の欠点と思ったり、
文化の違いを欠点と見る、といったことです。
特に、日常の文化の違いで、
相手を馬鹿にしたり嫌いにならないように気をつけています。
しかし、私は、妻からは日常のことでは馬鹿にされております。
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