前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第244回
日本人の原理主義者

回教徒の2世達は、自分達の神は唯一であり、
自分達は他の人々より多くの権利を持ち、
偉大なのだと教育されます。
ところが、現実に目にする両親は、
多くは教育も無いので、デンマーク社会の下積みにいます。
モスクではお前達はデンマーク人より偉いと教えられ、
学校では落ちこぼれです。
警官は威張っていないし、拷問もしないので、
自国の警察と比べると偉そうでも怖そうでもなくて、
腰抜けに見えます。
家の外にネットワークを持たない母親は、
そういった子供たちをコントロールできないし、
気軽に犯罪ができるのです。
こうして、コペンハーゲンの18歳以下の犯罪者のうち
「80%は外国人」と、いう現実ができあがりました。
これに対して、デンマーク人の方にも
「うんざりだ」という声があがりはじめました。

回教徒の原理主義者は、コーランの道徳でデンマーク人を裁きます。
そうなると「デンマーク人は豚を食べる汚れた国民で、
女性は皆馬鹿でふしだら」です。
自分達がデンマークで享受している豊かさも、
受ける親切も、自由も、
デンマーク人が回教徒でないということで評価されません。

維新の後に、日本は国としてのスタンダードを取り入れるため、
有能な若者をヨーロッパに視察と勉強に送りました。
その中の一人が、当時のフランス人を評して「禽獣なり」、
と手紙に書いたそうです。
なぜかというと、国王を殺したからだそうです。
「君に忠」これに反したということで、
どんなに進んだ文化も、受けた親切も問題外になるようです。
又は、あまに差が有りすぎて、そのように思いたかったようです。
これは、現在欧州に住む、
回教原理主義者と反応と似ているかと思います。
人間は、イデオロギーや宗教や常識に捕らえれれると、
目の前にあることが見えなくなります。

もっとも、自国の文化圏を1番として、
自分の常識で相手を裁くのは、
19世紀のヨーロッパなどは最たるものでした。
そして、ヨーロッパではこれを反省する人達が現れて、
それぞれの文明を相対化するのが常識になり、礼儀になりました。


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2005年6月22日(水)

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