第226回
謝罪は間違い?
デンマークでは欧州の終戦60年ということで、
ヒットラーやナチスの映画などを元に、
様々な討論が行なわれています。
デンマークに住むドイツ人は
「いつまでも戦時中のことを言われて嫌だ」
と私の日本人の友人に時々こぼしているそうです。
当人が直接責められる、ということではないですが、
個人主義の国とはいえ、
良いも悪いも国のイメージは、やはりその国民と重なります。
昔、テルアビブの飛行場で日本人が機関銃を乱射して、
民間人を殺しました。
そのテロ行為に対して、日本政府は謝りに行ったそうです。
すると「なぜ個人の犯罪を政府が謝るのか?」
と不思議に思われたということです。
又、事件の直後にヒッチハイクをした日本人が話してくれましたが
スイスで「日本人か」ときかれて
「それなら断わる。テルアビブはなんだ」と言われたそうです。
個人主義といっても色々な人がいて、そういうこともあります。
ここで彼が日本を代表して謝ったら、
又は、自分とは関係ないと言ったら、
相手がどう反応したか分りませんが。
「親が酸っぱい葡萄を食べたからといって、
その子供の歯が浮くわけではない」とか、
「人は自分の罪によってのみ罰せられる」など、
中近東には非常に古くからこういった言葉があるそうです。
その正反対のことが、今でも引き続き行なわれていますが、
「罪があるのは罪を犯した人だけだ」
という考え方の芽生えのようです。
こういった”個人主義”は、ヨーロッパに広まりました。
そこからデンマーク人歴史家の何人かが主張した
「人は他人の過ちを謝れない」が生まれるのでしょうか。
あきらかに誰かが行なっている過ちや犯罪も、
「直接係った当人以外は罪が無いのだから、
遺憾に思うことは表明できても、謝ることはできない」
という見解です。
そう言えばそうともいえますが、
「首相が謝ったのは誤り」という歴史家の意見は、デンマークでは
多数派か少数派か分りません。
デンマークでは、
リーダーが団体を代表して謝ることはほとんどありません。
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