第147回
日本が友を選ぶなら、汚く、悪どく、情もなく
人物高潔、信に篤く、明朗で情熱的。
それがデンマークの家庭に養女に来たレーナ・キムです。
11歳の時に韓国から来た彼女は、
韓国人のそういう良い面を備えていましたが、
激情にかられる性向もいっしょに備えていました。
大学で知り合った婚約相手との激情の珍道中は、
結婚式の日に披露されて皆で大笑いしましたが、
すでに全員が知っていたのでした。
レーナはデンマーク人の間でも大変人気者です。
私の店のアルバイトの初めの日に、レーナは笑いながら言いました。
「日本は韓国に酷いことをしてきたからね・・・」
「そう、ヨーロッパの真似をしてね」受けて私はそう答えました。
レーナの目が点になり、一転、恥ずかしそうな表情になりました。
レーナは一瞬にして気づきました。
自分が韓国で習って信じて疑わなかった歴史が、
デンマークで学んだ歴史と矛盾していることに。
近年の歴史をみると、日本だけが特に酷かったわけではないのです。
昔、日本はロシアとの戦争の前に日英同盟を結んで、
イギリスから色々な援助を受けることになりました。
日英同盟の直前に、
イギリスは南アフリカに45万の軍隊を送り、
50万人のオランダ系移民(ボーア人)の国を略奪しました。
焼き尽くし、奪いつくし、殺しつくしのお手本をやったのです。
イギリスが地方に追いやったボーア人の土地に、
金とダイヤモンドが発見されたので再び奪い取ったのです。
その後でアパルトヘイト政策がとられたそうです。
その時期までのヨーロッパは、イギリスに限らず野蛮でした。
“この道を日本が選ぶのではないか?”と孫文が憂慮して
日本に問いかけたヨーロッパ型の“覇道”を、
間接的に学ぶことになります。
日本は、当時世界最高の戦艦を英国から売ってもらい、
南進してきたロシアと戦いました。
そして“勝ったのだから当然”と勘違いして、
植民地の奪い合いに参加しようとしました。
そのあたりからレーナの言う酷いことを始めたわけです・・・。
こんな歴史観が私の頭にあり、とっさにレーナに反応したのでした。
その後のイギリスはやり方をスマートにして、
実を取る方式に変えましたが、
後に日本はナチスのドイツを友に選んだのですね。
日本はドイツ、イタリアと同盟して付き合い、
よその国民も自国民にも酷いことをして、戦争にも敗れました。
時代は征服するか、されるかしかない、と思い、
パニックになって
“汚くても、悪どくても”征服する側を選んだのでしょうか?
人の友と国の友はまったく別物のようですね。
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