第139回
アンチックの遺言
私の店のムリエルの父母はプロヴァンスに住んでいます。
父方も母方も家系がはっきりしていて、
200人以上の大家族の集まりも何回か催されたのでした。
お父さんは大きな家一杯にアンチックを集めてしまいましたが、
それぞれに家族の思い出があるのでした。
どこそこの叔父の作った箪笥とか、
自分が兵役に行ったアルジェリアで、
なけなしのお金で買ったアラビア風のテーブルとかです。
すっかりアンチックを見る眼の出来たお父さんは、
教会のバザーのアンチックの鑑定をして、
値段を付ける手伝いなどもします。
家にお客さんがあると、いくつかの家具を披露しながら、
由来を話して聞かせるのを楽しみにしているのでした。
お父さんはまた、
ムリエル達3人の姉妹にそれらのアンチックを遺して、
代々受け継がれるのを楽しみにしていました。
ところがある日その話が出た時に、お姉さんは
「お父さんが死んだら売って片付けますよ」
とそっけなく言ったので、
お父さんは一ヶ月ほど鬱状態になりました。
昔の家具は大きくてお姉さんの趣味ではなかったのです。
私は以前ムリエルに、
“成功疑いなし?”の商売として私が思いついた
「遺言記録保管会社」のことを話しました。
その話を覚えていたムリエルは、
お父さんに「全部の家具について、由来を書いてください」
と頼みました。
写真家のムリエルは、ひとつひとつの写真を添えて、
CD−ROMなどのメディアに入れて、
保管しておくことを約束したのです。
将来ムリエルの子供達や子々孫々の中に、
それに興味を持つ者が出てきたら、
いつでも見て読むことが出来るようにでした。
お父さんはその日から、
いそいそとコンピューターの前で家具の履歴や、
思い出話を書くようになりました。
大分溜まったので、今度実家に帰ったらムリエルが写真を撮ります。
余談になりますが、
去年から年金生活者になったムリエルのお父さんは、
マルセイユの少年院で長い間働いていました。
ムリエルはそこの子供達の中の
「ジダン」という男の子の姓に聞き覚えがあり、
後でその名前が登場した時に思い出しました。
彼はサッカーが上手でしたが、
もっとサッカーの上手な弟がいるということでした。
それがサッカーのジネディーヌ・ジダンです。
お金持ちの弟のジダンが資金を出して、
お兄さんはお店を持って人生をやり直そうとしましたが、
今は又調子が良くないようです。
マルセイユの一部の地域を歩くのは危険ですが、
お父さんが会いに行くと、
人に取り囲まれても必ず知った若者が現れます。
そして「この人はOKだ」と、通行の手助けをしてくれるそうです。
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