第86回
ビジネスチャンス・図々しくても大丈夫
インシュリンで有名なノヴォに
日本支社から来た日本人社員は
「五時になると会社にほとんど人がいなくなって、
社員同士のコミュニケーションがなくなって物足りない」
と言っていました。
「その代わり昼食を一時間もかけて一緒に食べながら、
家庭や仕事の事を話し合う」
とも語っています。
「会社の中では地位が大きく違っても、
たとえ相手が社長でもストレートにものを言い合って、
関係は良好です」
「ここではチーフと一般社員の関係は非常に良好です」
とも、この日本人社員は述べています。
デンマーク人は無礼なぐらいに元気な人も人気があります。
春巻き王ヴァンさんは
耐えながらゆっくりと春巻が浸透するのを待ちましたが、
1970年の中頃に
「今チャンスを逃したら永遠に出来ない」と焦る若者がいました。
寝具を売る店に勤めていた25歳のラーセンは、
ディスカウント・ショップで
ダウンの寝具などを売ることを思いつきました。
ラーセンは最低30軒のチェーン店が必要と計算して、
25から30%の節約を可能にしようと思いました。
ラーセンの提案に3軒の寝具を販売する店を経営していた社長は
「着実にじっくりやろう」とのんびり構えていました。
そこでラーセンは別の提案をしました。
「では、私はこの会社の51%の株主になります」
社長はあきれて「51%の株主?」と聞き返しました。
お金もないのにどうやって資本参加するのでしょうか?
「私の仕事の能力と才能の提供が株51%の値です」
社長はこの若者の無茶な提案に、
なんと一ヶ月も熟考したそうです。
普段のラーセンの仕事振りを知っている社長は、
ラーセンの「多分ムリだろうが、だめなら辞めよう」
と腹をくくった申し出に迫力を感じたのでしょう。
そして「ありがとう。でも、止めておくよ」と社長は答えました。
そこでラーセンは会社を辞めて、
借金だらけで独立してライバル会社を起こしました。
色々大変でしたが次々と店の数を増やしたのは
“成功のチャンスは他社が参入する前の短期間”と、
ラーセンは思ったからです。
その後は数々の失敗を糧にして
ハイテンポで店を増やしていきました。
その過程で彼の支店に21歳の良く働く若者がいると聞いて
「話し合いしたいからこちらに来て欲しい」と声をかけました。
すると少し離れた町で働くその若者は
「忙しくてそれどころじゃないよ。
それに会いたいというのはそちらだから、
あなたがこっちにきてよ」
と答えました。
自分の頼みをこんなに軽くみるのが少々引っかかりました。
“こういう元気な若者はよろしい。しかし・・・”
でも、ラーセンは若者の無礼な返事にも
“そう言えばそうか”と思って自分の誇りを捨てて、
若者の面接に自ら出かけました。
その後この若者が店長になり、
時を経ずしてユトランド支部長になり、
デンマークより規模の大きいドイツ支店長になりました。
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