前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第66回
パリの楽しみ

第一回目のフランスの旅は70年代の始め、
コペンハーゲンからのヒッチ・ハイクで始まりました。
紙にその日に着きたい町の名を書いて
高速道路の入り口に立ちます。

さてドイツに入ると10分と待たずに車が止まってくれます。
親切ということもありますが、
車の座席を空けて走る
不経済が我慢できないという感じがあるのかと想像します。
私達は乗せていただいたからには
お話するのがお礼だと思っているので、
慣れない言葉で話題を探します。
するとドイツ人の若い人は
「ヒッチ・ハイクの旅は疲れるだろ?しゃべらなくてもいいよ」
疲れた顔をしているらしい私達を気遣ってくれました。

高速道路の中は歩いてはいけないので、
降ろしてもらうのは出口です。
一度はついそのことを忘れて、
インターチェンジで降りて歩きながら
親指を立てているとパトカーが止まりました。
おまわりさんはパスポートと所持品検査の後、
何も言わずに国境まで乗せて連れて行ってくれました。
オランダからは親切なモロッコ人の
長距離トラックの運転手に乗せてもらいました。
途中でエンコしたりしましたが、
無事にパリに着いて郊外で降ろしてもらいました。
それでもパリに着くと4日間が経っていました。

ヒッチハイクに象徴されるように私達はいつも貧乏旅行で、
安いレストランでさえ利用することはほとんど有りませんでした。
スーパーのデリカテッセン売り場や朝市で一日の買い物をします。
地元のハムやチーズを買ってバケットに挟めば、
それでとても美味しいご馳走でした。
今でもどこに行ってもそうやって食べるのは大きな楽しみです。
ミネラル・ウォーターと手作りのお弁当を持って延々と歩き、
クタクタになって安宿に帰ってきました。

美術館には必ずいきますが私は一目見れば気が済むので、
横目で眺めながらどんどん歩いていくのです。
たまにひっかかる作品があると
そこだけ人並みにゆっくり眺めます。
ゴッホの暗い不吉な絵が実物を見ると、
とても明るい色使いなのが印象的でした。
ムンク、ピカソ、マチスは同じような絵を何枚も描いているので、
成るほど同じ絵でもたくさん描きたいものかと思いました。
聖書の場面の描き方を見て
「こういう具合にこの人は描いた」のかと納得不納得して、
どんどん歩いて短時間で出てきます。

そんな私達が貧乏旅行にも疲れてきた頃、
Qさんの「食指が動く」のレストランのガイドを読んで、
試してみたくなりました。


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2004年10月18日(月)

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