第53回
デンマークに住もうか
国民学校の講堂で全員に授業科目の説明がありましたが、
数学などの普通の学科の他に乗馬など色々あるようでした。
私の横に先生らしい女性が座ったので説明してもらいました。
先生にしては授業内容のことをあまり知らないのが変でしたが、
実はその先生もそこで教えるのはその年が初めてなのでした。
チェロを専攻した人で、
私は合唱など幾つかの授業を受けました。
「荒城の月」を授業で合唱したこともありましたが
「花の宴」の「えんー」の音が
どうにも可笑しいという人が何人もいました。
その年は先生が選んだバルトークの作品を多く演奏しました。
私が乗馬に通った厩舎で生まれた赤毛の仔馬にも、
それにちなんで“バルトーク”の名が付けられました。
目が覚めると、
吹雪は止んで月明かりに雪が輝く穏やかな夜でした。
新しい環境に興奮していて、目が覚めたらもう眠れません。
部屋から出ると、ピアノの音が聞こえてきます。
戸が開いていたので覗くと、
長髪を振り乱して鍵盤を叩く男の後ろ姿が見えました。
私は興奮して酔ったような感じになっていたので、
勝手に近寄って聴くことに躊躇しませんでした。
きっと「世界は皆仲良し、若者は皆友達」の時代だったから
そんなことができたのですね。
フラワー・チルドレンとかヒッピーがいて、
知らない人にも親切にして打ち解けるのが
流行の時代だったのです。
さて私は後ろで聴いているうちに、
目の前の楽譜とリズムが違うところがあるのに気が付きました。
「ここ違うんじゃない?」と、私は余計なことを言いました。
彼は振り返ると一瞬だけ、
私がそこにいるのに驚いたという目で私を見て、
すぐに楽譜通りに弾き直しました。
少しも不快がることがなくて、
一人で弾いていた今までとまったく同じ態度です。
私はこんなことをしたら後で “僕は馬鹿だよなあ”と、
いつまでも嫌な気持ちになるのです。
でもその人(トムという名前でした)はとても感じが良くて、
後で心が暖まる心地でした。
トムはなんと思ったか知りませんが、応対は優しくて自然でした。
この人に代表されるように、
この国の人には何か自然な優しさが有って、
私の中の厭らしいものを洗ってくれるような気がしました。
これが「この国に長く住んでみたいな」と思った最初です。
学校に慣れてきてからも、やはりトムは寡黙な人でした。
「トムはデンマークでは有名なロック・バンドのメンバーなんだ」
後でクラスの一人が教えてくれました。
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