前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第48回
エルサレム

旧約聖書の案内を読んだら
面白い旅行案内を読んだような気になって、
一度は現場に行ってみたくなりました。
1997年の春に私達は、
紛争の谷間で丁度小康状態だったイスラエルを旅しました。
共産主義の元祖とも言える
キブツと呼ばれる共同体を見物しました。
そこでは働ける者が働き、
衣食住も育児も総て共同体が賄ってくれます。
今では少なくなってしまったキブツは、中身も変化してきて
夫婦の家などの私有財産も許されているそうです。
これは共産の世界になって人々の意識が変わるのではなくて、
社会の方が人間に合わせて変わったのですね。
それでもなおその社会が嫌なら、
キブツならそこに適さない者は出て行くことができます。
キブツはその人達のいなくなった分だけあるいは縮小し、
あるいは消滅しました。
国の中にはキブツでなくとも住む所はたくさん有るのです。
国全体が共産主義となると行く所が無いので酷いことになります。

キリストが捕まる直前をすごしたオリーブ山から、
エルサレムの全体を眺めました。
小さな丘が砂漠と荒地の中にあって、
その上に古い建物が軒を連ね重なり合っていました。
門をくぐると、朝早くから
大きな古い壁(嘆きの壁)に顔を近づけて、
体を揺すりながら祈ってるユダヤ教徒がいます。
壁の横の坂を少し上ると、
美しい青いタイルの壁に金の丸屋根が乗ったモスクが
すぐそばに建っています。
観光客がキャッキャッと笑うと、
見張りの男が血相を変えて走ってきて「シッシッ!」と叱りました。
当然ですが、ここはやっぱり観光の地の前に宗教の聖地なのです。

モスクの次は町に降りてキリスト教の教会を見学に行きました。
ところがそこは、
ギリシャ正教とカトリックとコプトというキリスト教の宗派が
一つの建物になってくっ付いました。
私が初めてコプト派というのがあるのを知ったのは、
ローレンス・ダレルのおもしろい小説を読んだ時です。
そのコプト派の教会の前の広場で、
ガイドがデンマーク語で教会の説明を始めました。
すると、それを厳しい目つきで見ていた髭もじゃの男が
「それは違う」という風に手を振って話の邪魔をしに来ました。
ガイドは一瞬何だか解らなくて怯みましたが、
その人のただの思い込みとすぐ解ると
そのまま平気で説明を続けました。
コプトの男はガイドのそばに立って、
自分に解らない言葉で自分達の聖なる教会の説明をするガイドを、
胡散臭そうに睨んでいました。


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2004年9月22日(水)

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