前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第2回
40歳からでは遅すぎる

デンマークのプレイ・グランドは、
5歳から18歳ぐらいの子供が暇のある時に遊びに来る所です。
私の働いていたところは、
2万平米ぐらいの土地の半分近くに
子供達が自分で建てた家があるのが特徴でした。
男の子は大きな二階建てを何ヶ月もかけて建てたり、
女の子は小さな家に自分でカーテンを付けて
楽しんだりしていました。
雨の日は木工や陶器作りを教えたりや色々なゲームをします。
雪の日の午前中はリーダーのオーレと
アイスホッケーの試合場作りです。
午後は絞れば汗が服からしたたり落ちるまでホッケーをして、
くたくたになって家に帰りました。

この仕事は気に入っていたのですが、
老後の設計ができていませんでした。
老後もずっと続けられる仕事を、
50歳ぐらいから始めれば良いだろうと考えていたのです。
ところがある日Qさんの本を手にした時
Qさんから「40歳からでは遅すぎる」と脅かされて、
慌てて老後の準備をはじめました。
何をしようかと色々考えましたが、
どうもこれといったものが見つからない状態で時間がたち、
結局「これは」と思うものは向こうからやってきました。

知り合いの日本人に
新型写真現像機でミニラボ店の共同のオーナーにならないか、
と誘われたのです。
彼、N君はコペンハーゲンで初めてのミニラボで働いていました。
ミニラボがいけそうだと思ったのは、
原料を買ってきて「加工しては儲け、売っては儲ける」なら
多少は失敗しても何とかなると思ったからです。
もう少し調べると、もっと確かな気がします。

その理由は

1.その頃は現像代が36枚撮りで3000円以上していました。
  その店ではカメラ(利益率が低い)は売らなかったので
  粗利益は75%もある。
2.写真屋は高いカメラが派手に店頭を飾り
  その利益は大きそうだが、
  実は粗利益の大半は意外にも現像代である。
3.コペンハーゲンにはこういう店が数件しかない。
4.必要なら人手を半分に減らすことが可能である。

などでした。

これはいけると、さて胸算用はできましたが、
総ては売り上げ有ってのことで、
よい立地で量を裁かないと現像の機械の費用も出ません。
そこでその店で働いて技術を覚え、
同時に店をさがすことになりました。


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2004年7月20日(火)

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