第235回
バブルとデフレ
日本では、1930年代前半の
第一次世界大戦の軍需バブルの崩壊が起き
深刻なデフレーション(昭和恐慌)時期がありました。
株価の暴落、金融機関の相次ぐ破綻、物価の下落(4割近く)
失業率は約9%となって大きな社会不安になりました。
この昭和恐慌に対し効果的な対策を打ち出せず、
第二次世界大戦の軍備費増強によってデフレは解消されました。
戦後の日本経済は戦後復興のもと成長してきていました。
長期的にはインフレ状態できたのが日本の経済です。
戦後日本はインフレの経験こそあるのですが
本格的なデフレは1990年に入る前までは未経験でした。
日本の政府はデフレを払拭するために
金利を下げる、通貨供給量を増やす、
などの方法をとって景気を回復させようとしてきました。
政府は国債や手形の買いオペにより市場に大量に資金を供給し、
銀行に強制的に預けさせている預金準備率を引き下げ
流通通貨量を増加させたりもしました。
ですがその効果が出てくることはありませんでした。
最近は内需より外需の恩恵により
日本の経済も復活しつつあります。
この期間の1991年〜2003年が深刻なデフレ期間となりました。
ここで1991年
日本が超インフレからバブルからデフレに変わった時の
おさらいをしてみます。
・バブルとは
日本でのバブル経済(景気)から見てみますと、
1980年代後半の日本経済の状況がそうです。
当時日本では土地や株の値段が上昇していきました。
それを担保にして銀行からお金を借り、
企業はどんどん設備投資を行い
さらに値上がりに期待した企業や個人投資家もたくさんいました。
その為地価や株価はどんどん上昇し
2〜3倍の水準まで上昇していきました。
これがバブル経済(景気)です。
90年代になり、これが破綻(はたん)し、
土地や株の値段が急激に低下し、
10年以上に渡り景気は上向きませんでした。
この流れを一掃して
経済を回復させる為に行なったのが規制緩和です。
規制緩和とは様々な制限を取り除く、
または緩(ゆる)めて企業が自由な活動を行い易くし
新たな市場をつくり経済活動を行いやすくすることです。
政府は市場参入に関する規制を取り払い
新しく企業が参入できるようにし、
新技術や発明が行なわれ、
経済が活性化して新しい雇用が増えることにより
国民所得向上につながっていきます。
ですが景気は回復せずいっそうデフレが深刻化してきました。
・デフレとは
デフレ(デフレーションの略)とは
供給(売り方)が、需要(買い方)を上回り物価が安くなることです。
値下げをしても物が売れない状態が続くので
企業はさらに値下げをして物を売ろうとしますが
売れない状態です。
企業の利益率も値下げ分下がっていきますから
値下げ分の利益を出すには
もっと多くのものを売らなくならないといけません。
ですから、働いても働いても利益がでない状態になります。
企業は利益を出せず苦しんでくると
利益を確保する為に人件費を削ってきます。
つまり従業員を減らして利益を守ろうとリストラを行います。
ここまでくると市場全体に活気がなくなります。
従業員はいつ自分がリストラされるか、不安になります。
一般消費者も収入に不安がでてきますので
支出に慎重になってきます。
ここまでくるとリストラのう不安、消費者の買い控え、
ますます物が売れなくなる、さらに商品を安くする、
この循環の中に入って抜け出すことが難しくなってきます。
この悪循環から抜け出せなくなっていくのがデフレであり、
これがデフレスパイラル状態です。
デフレスパイラルとは深刻な雇用不安と物価下落が
同時に進行し続いていくことです。
<次回に続く>
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