しかも斜陽産業は斜陽産業なりに飢餓を覚悟で滅ぼされることに抵抗するから、安いアルバイトのオバちゃんを駆り集めてコスト・ダウンをはかるし、中部地方の工業の盛んなところが駄目なら、宮崎県とか熊本県の人里離れた工賃の安いところで、もっと安値のものを提供してくる。海外につくった工場は日本の標準賃金と競争するのではなくて、片田舎のもっとも零落した最低賃金と競争させられるから、事、志と違って思惑が見事にはずれてしまうのである。
製品が思うように売れず、売れても工場の経費がカバーできなくなれば、工場はたちまち金ぐりに追われてしまう。形勢悪しと見れば倍額増資を決議しても、誰一人増資には応じてくれず、結局、私が毎月のように不足する資金を補うことになった。金ぐりに追われながらも、総経理になった台湾の人は死に物狂いで頑張ったが、私の出資金が六千万円に達したとき、私は遂に工場の店じまいを命じた。
剣道具一式が面、胴、小手、垂れ、竹刀と五つでたったの一万五千円、日本でならご婦人の簡単なスカート一枚でもデパートで一万五千円で売られている時代に、である。私はコスト・インフレに対抗する実験のために六千万円の授業料を払ったばかりでなく、折角台湾の人たちに教え込んだ、ほとんど日本製と違わない剣道具をつくりあげる製造技術も同時に霧散させてしまった。これがモーターか、テレビの技術だったら、アメリカででも一合戦できたのにと残念に思う。
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