私はどこまでなら自分は損に耐えられるか、常々心得ていたし、その限界に達する前にいさぎよく撤退をした。また性懲りもなく失敗を重ねたが、失敗した事業ばかりでなく、いくらかうまくいったものもあった。なかでも苦境のときに私を地獄から救ってくれたのは、不動産への投資であり、不動産の値上がりであった。
私は新規の事業に手を出すかたわら、毎年のように土地を見つけては小さなビルを建てた。最初は渋谷の東急本社の脇にマネービルというビルを建てたが、次に中野、やがて原宿、渋谷、新宿、赤坂などと手を拡げていった。
ビルを建てるたびに銀行から借金をしたが、しばらくすると、土地が何倍にも値上がりをしたので、私の財産は借金を遥かにオーバーするようになった。土地を買い、ビルを建てている限り、不動産はお金をもたらしてくれる。東京で不動産に投資をし、産をなした人々は恐らく大なり小なり私と同じ経路を辿っている。そうすることに何の疑いも持たない人々は今日、私よりもずっと巨額の産を築いていることだろう。
しかし、不動産でお金を儲けてみて、こんなことがはたして事業といえるだろうかと私は疑った。銀行からお金を借りてきて、土地を買い、ビルを建てれば、黙っていても財産はふえる。プランをたてる段階で失策さえしなければ、億のお金が簡単に儲かってしまうのである。
一方で、大学を出て一生かかって仕事に励んでも家一軒建てるのに四苦八苦する。サラリーマン稼業はお金にあまり縁がないとしても、自営商で喫茶店や町工場や床屋をやっている人でも朝から晩まで働きずくめに働いても、その日暮らしがやっとである。
もし私が他の事業をやめて、不動産投資に専念していたら、多分、私はいまの十倍も百倍も財産家になっていただろう。しかし、あんまり簡単にお金が儲かりすぎるのもよしあしで、他人の苦労もわからなくなるし、人生を見くびることにもなりかねないと、別の自分が自分を批判するのである。
←前ページへ 次ページへ→

目次へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ