ようやく採算にのせたが
しかし、いざ蓋をあけてみると、一万五千売れるといったのがたったの八千冊であった。
鉄道弘済会など三千冊と言っていた。が、私が仕入係のところまで出かけて行って、帳簿を出して見せてもらうと、九百冊しか売れていなかった。これだけで月の赤字がまた七十万円ふえた。私は矢崎君に連れられて、雑誌の印刷をしてくれる大日本印刷まで挨拶に行ったが、担当の部長が『週刊日本』の社長に担がれた石川達三さんを例にひいて、「文士の借金の尻ぬぐいはいつも印刷会社にまわってくるんですよ」と言って、私が引き受けることに反対をした。しかし、私としては、もう皆に公表してしまった以上、今さらあとにひけないという事情もある。
「私を石川達三先生とごっちゃにしないでください。ご心配なら、印刷代、紙代は毎月、現金で払いましょう。それならいいでしょう」
私は『話の特集』に協力を申し出てくれた執筆者たちを私の家に集め、お金の出資はいらないが、定期購読者を一人で百人か二百人くらいつくっていただきたいと頼みこんだ。皆、快く承知してくれた。永六輔さんなどは積極的に駆けまわってくれた。野坂昭如さんは年千八百円の定期購読者をつくるために、銀座のバーに出かけて行って二万円も使ったと矢崎君の口からきかされた。
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