損をするなら今でも
しかし、資金が六千万円あるといったのは矢崎君一流のハッタリで、実際は九百万円しかなかった。金食い虫の雑誌のことだから、一年もしないうちに資金にショートをきたし、休刊に追い込まれてしまった。
ふつうならここで再起は不可能になるところだが、『話の特集』は一群のイラストレーターやカメラマンを抱えていて、もしこれらの人々をうまく活用できたら商業デザイナー部門が成り立つのではないか、と惚れ込んだ大阪のある印刷会杜が資金を提供してくれることになって『話の特集』は復刊までこぎつけた。
復刊後何号目かに、編集部の女性が編集長の使いと称して、また私のところに原稿の依頼にきた。当時、私は表参道と明治通りの交叉点のすぐそばにオフィスをつくり、毎日そこに通勤していた。『話の特集』の編集室はそのすぐ斜め前のセントラル・アパートの中にあった。私は事情をきいて、「よく頑張っているなあ。少し励ましてやらなくっちゃ」と思って、「ご馳走するから連絡してくれるように」と女の子にことづけた。
二週間ほど何の音沙汰もなかったが、ある日、矢崎君がひょっこり姿を現わした。私は彼を案内して原宿駅前のティファニーというレストランで昼食をともにした。矢崎君は私にご無沙汰をわび、声をかけられながら来られなかったのは、実はスポンサーになってくれていた大阪の印刷屋がおりることになり、このままでは再び休刊に追い込まれるので、対策のためとびまわっていたのだと言う。
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