吉村さんはもう既に故人になってしまったが、戦争中の陸軍技術少佐で、軍から派遣されて、東北大や九大などで金属、電気、応用化学、機械、最後は整形外科まで勉強したという博学な人であった。何でも松根油の抽出法を発明した人だそうで、そういえば、戦時中、ガソリンの代用品にするために学徒動員されて松の根を掘らされ、えらい迷惑をした人も多いに違いない。いわばその元凶みたいな人であるが、戦後は軍服を脱いで各企業の技術コンサルタントになり、当時、日本経済新聞の月曜日に掲載されていた「科学と技術」という欄の常連をつとめていた。

この人を紹介されて、八百善という料理屋で初めて顔を合わせたのだが、とても変わった人だった。何でも目をさますのが午後の二時くらいで、それから外国の科学技術の雑誌に目を通す。勉強の時間はなるべく短くして午後の六時頃には終わってしまう。それから銀座に出てきてバーというバーをはしごしてまわり、夜中をすぎると、バーがしまってしまうので、朝の五時頃までゲイバーをうろうろして六時頃にやっと家へ帰りついて寝床につく。勘定してみると、人と違うのは起居の時間が六、七時間ズレているだけで人並みに寝ていることに変わりはないのである。

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