家屋敷の売買では教訓ばかりが残る
家に財産価値をみない時代
香港にとって私はいわば他所者であった。私の側から見れば、香港は異郷である。だから香港に住んでいて、「お嫁さんの世話をしましょう」と申し込まれたときも、
「いや、私のよう風来坊はどこにどう動くかわかりません。女房をもらったりすると、そのとき、足手まといになりますから」
と言って断った。
ところが、私と同じように、台湾から亡命してきて、私と同じように廖文毅博士のところにしばらく居候をしていた友人が、その頃私のところに居候をしていたのだが、その友人が、私の断りを脇できいていて、
「おい、よけいなことを言うな。またどこかに行くときは、おいて行けばいいじゃないか」
といって私の袖をひっぱった。私はアッと驚いたが、なるほどと感心した。どうも日本の教育を受けると、何事もクソ真面目に考えすぎて融通がきかない。「日本的帝国主義教育の害毒を受けている」と、戦後、大陸から渡ってきた外省人たちから毒づかれたのは、案外、こんなところにあるのかもしれない。
そう思いなおして深く反省するところがあったので、私は考えをあらためて結婚に踏みきったが、他所へ行くときはおいていくつもりだった相手と、何十年たった今日でもなお連れ添っているのだから、世の中の縁というものは不思議なものというよりほかない。
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