倍々ゲームをやれば、資本もふえるが、送り出す量も次第にふくれあがっていく。一年もやると、本当に月に百個も小包が送り出せるようになり、私は月に百万円も儲かるようになっていた。まだ東京では赤坂あたりの土地が、坪当たり千円で買えた時分の月百万円であったから、私はたちまちちょっとした成金気分を味わうことになった。
居候をしていた私は、まず自分の食事代を払えるようになったが、いつまでも他人の家で居候しているのも気のきかない話なので、高級マンションを借りて、そちらへ移りすんだ。
それからオースチン70という英国製の自家用車を買って運転手をやとった。
そんなやり方をするといかにも気前よくお金をバラまいているように見えるかもしれないが、亡命してからさんざお金に苦しんだので、お金のありがたさは身にしみてわかっていた。
だから派手そうに見えても、締めるところは締めており、ホワイトアウェイとか、マッキントッシュとかいった一流店に行って洋服をつくったり、シャツやネクタイや靴などを買ったりしたが、一か月に使うお金はその月の収入の十分の一をこえないように心がけていた。
収入の十分の一で暮らし、残りのお金を動かして倍々ゲームをやれば、数年のうちにはもっともっと大金持ちになるだろう。当時、私はまだ二十六歳であったが、恐らく三十歳になる頃には億万長者になっていることだろう。そう思って盛んにとらぬ狸の皮算用をしていたが、「あてとフンドシは向こうからはずれる」の諺どおり、目算はたちまち狂った。
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