故郷から逃れて
荘要伝にあうと、香港から帰ってきた知人の某氏が台湾から行った銀行員があの請願書を書いたと言っていると教えてくれた。噂の火元はどうも廖博士らしい。香港に住んでいて自分は生命に危険を感じないものだから、つい□が軽くなっているらしいが、うっかりするとこちらに被害が及ぶ。一日も早く台湾から高飛びしたほうがよいと、荘もあせっていた。
「僕も逃げるから、君も逃げろ」
「逃げるといっても、どこに逃げるんですか。まさか台湾山脈の山奥というわけにはいかんだろう」
と私はききかえした。
「一緒に香港に逃げよう。同じ飛行機に乗って二人一緒につかまったのではわりにあわないから、別々の飛行機に乗るんだ。ついては、女房子供にさしあたりの生活費を残していかないと安心できないから、少しお金を融通してくれないか」
私だって素寒貧なのに、荘要伝は私よりもっと貧乏であった。仕方がないので、私は自分の住んでいた家を売りとばし、当時のお金で百万元の銀行小切手を一枚つくって荘に渡した。荘はその小切手を引き出しの奥にしまい込み、奥さんが引き出しをひっくりかえしたら目につくようにしておいた。いよいよ出発の日になると彼は銀行のお客にご馳走になるからと、奥さんに言い訳をして、一張羅を着込み、そのまま航空会社に行ってバスに乗り込んだ。
一時間遅れて、私はもう一社の航空会社の別の便に乗り込んだ。無事香港に着いたら、ペニンシュラー・ホテルのロビーで落ち合おうと約束をした。もうこれで二度と故郷の土が踏めなくなるかもしれないと私は思った。しかし、生命からがら逃げるときにそんな感傷にふけっている心の余裕はないものである。夕方、ペニンシュラーのロビーでお互いに無事な顔を見たとき思わず快哉を叫んだが、しかし、これは漸くこれからはじまろうとする苦難の道のほんのスタートにすぎなかった。 |