「台湾独立」めざす密使役に賭ける
台北で暴動が勃発
砂糖船に乗って東シナ海を突っ切り、あわよくば、紀伊国屋文左衛門にあやかろうという企てはあえなく吹きとんでしまった。母親からせびったお金もすっからかんになってしまったし、台湾から脱出しようという望みも遠のいてしまった。
私の生家は、戦前、子供たちを同時に四人も留学にやるだけの余裕を持っていたが、戦争中は企業整備で無理矢理、合併をさせられて収入の道が途絶えていたし、戦後は猛烈なインフレで潰滅状態に瀕していた。私は大学で悪性インフレの典型的な例として第一次大戦後のドイツで起ったことを習っていたから、お金を他人に貸すよりも、逆にお金を借りて砂糖や米などを買い占め、利息の支払いに必要な分だけ処分してやりくりしたほうがよいと父親に意見をした。
しかし、五十年間にわたる日本の台湾統治を通じてインフレの体験を持ったことのない父は頑としてきき入れず、
「三万円、人に貸して、月に三千円利息をもらえば、利息収入だけで一家の生活費が賄えるじゃないか。タマゴを食べてしまっても、親鶏はそっくりそのまま残っているのだから、どこが間違っている?」
と逆に私に食ってかかった。いくら口を酸っぱくして言っても全く受けつけてくれないので、私は台北へ行って職をさがし、自分で生計を立てるよりほかなくなった。
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