| 第736回さようならの美学
 さようならがどうして「さようなら」の意味であるのか、知っていますか。
 これは漢字で書くと、
 「然様なら」もしくは「左様なら」となります。
 つまりその意味は、
 「そうであるのでしたら」ということなのです。
 たとえば客が「これから家へ帰らなければなりません」と言う。
 と、主(あるじ)が
 「そうであるのでしたなら」と受けるわけです。
 別言するなら「さようなら」のひと言には、
 名残り惜しい気持が含まれているのです。
 たしか幸田露伴であったと思うのですが、<別れ際に風情のない女に未来はない>
 といった意味のことを言っています。
 男であろうと女であろうと、
 別れ際はたしかに難しいものです。
 ある時、ある会社の部長を訪ねたことがあります。話が済んで、さあ帰ろうとすると、
 その部長がエレベーターの前まで見送ってくれました。
 「ああ、とても丁寧な方だなあ」と思いました。
 これもまた別れ際の風情であるのかも知れません。
 本当は応接室を出た所で
 さようなら、と言えたでしょう。
 廊下を出た所で、オフィスの入口を出た所で・・・。
 でもその部長はエレベーターの扉が閉まるまで
 おつきあい下さった。
 これがまさに風情なのでしょう。
 今度は逆に客を見送る立場で考えてみましょう。エレベーターの前まで見送るのは、
 たしかに丁寧なことでしょう。
 でも、時と場合によっては
 一緒にエレベーターに乗って1階まで下りて、
 そこで「さようなら」。
 さらには少し歩いて駐車場まで見送る。
 どうせ駐車場まで行ったのなら、客が車に乗込むまで。
 あるいは車が角を曲がって、もう見えなくなるまで。―
 このように考えると、
 別れ際の風情はキリがないのかも知れません。
 けれども自分をわざわざ訪ねてくれて来てくれた客を
 大切にしたい、と思うなら、別れ際こそが大切です。
 たぶん誰もが言うでしょう。
 「でもねぇ忙しくてねぇ」。
 皆が忙しい時代だからこそ、
 別れ際の風情がいっそう
 際立つのではないでしょうか。
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