| 第337回しあわせを呼ぶ人生感
 人生とは何か、考えたことがありますか。私だって時には人生とは何かについて、
 考えてみることがあります。
 でも、人生について考えることと、
 人生が解った、ということは、まったく違います。
 人生というのはどこまで行っても、途中なのですから。
 たとえば、人生とはコインのようなものである、と思ってみる。
 コインには表と裏がある。
 これを表は「ラッキー」、
 裏は「アンラッキー」だとします。
 私たちは毎日、毎月、毎年、人にコインを渡し、
 人からコインを受け取り、
 また渡すということを繰返しているわけです。
 人からコインを受け取ると、表のこともあれば裏のこともある。
 つまり「ラッキー」な情報と
 「アンラッキー」な情報があります。
 統計上は表と裏の確率はほぼ50対50であるはずです。
 でも、必ずしもそうはいかないのが、
 人生の難しいところです。
 人と人との関係でコインのやりとりの裏表で、
 いつも私たちは一喜一憂を繰返しているのです。
 「まあ、人生はそんなもんさ」と。
 けれどもここで少しだけやり方を変えてみる。裏が来た時は、無視。
 表が来た時、それに注視し、大いによろこぶ。
 そうすると気持の上ではコインの表(ラッキー)が
 ほとんどあることになります。
 すると、コインの表はいいなあ、ということになります。ここに至って、相手に渡すコインのことに気づくのです。
 コインの表を渡しているか、裏を渡している。
 ふつうはなに気なく、無関心に渡している。
 時には、わざわざ裏返しにしてから、
 渡していることだってあるかも知れませんね。
 人生のコインは面白いことに、表側のコインを人に渡す人ほど、
 表(ラッキー)のコインを受け取る機会が多い。
 それはそうでしょう。
 人に裏側を渡しておいて、
 自分は表側だけを受け取りたい。
 これはあまりに虫が良すぎるのではないでしょうか。
 人にコインの表を渡すことが、
 結局は表(ラッキー)ばかりを受け取る秘訣なのです。
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