| 第275回美しい言葉の手帖
 
 好きな言葉をいくつ知っていますか。私にもいくつかあるように思います。
 本を読んでいても「ああ、良い言葉だなあ」と感心したりする。
 でも、すぐに忘れてしまうんですね。
 たとえば「こなから」も美しい日本語のひとつだと思います。そもそも「なから」は半分という意味です。
 「半ら」と書きます。
 つまり、半分の半分ということです。
 ここから転じて「2合5勺」のことを指します。
 1升の半分で5合、5合の半分で2合5勺というわけです。
 少なくとも半分の半分、1/4なんて言うよりも、
 「こなから」のほうに美しい響きがあるではありませんか。
 あるいは「かれたれ」の言葉も好きです。明け方の薄明りのことです。
 これに対して夕方の薄明りのことを
 「たそがれ」と言うのはご存じの通り。
 もともとは漢字で「彼(か)は誰(たれ)」と書いた。
 え〜と、あの人は誰だろう、
 どこかで見たことがあるような・・・
 と感じる薄明りを指したのです。
 「たそがれ」も同じように「誰(た)彼(かれ)」
 (あの人は誰?)から来ている言葉なのです。
 さらには「金打」(きんちょう)という言葉も好きです。金を打つと書いて、金打。
 これは固い約束を意味します。
 むかしの武士は約束をする時、
 少しだけ力を抜いた元に戻す。
 と、カチンと鍔の音がする。
 これが固い約束のしるしだったのです。
 まあ平たく言えば、指切りげんまんですね。
 でも、指切りげんまんよりも、
 「金打」のほうが美しいではないですか。
 もちろん美しいと思うか思わないか、人によっても違うでしょう。
 今、例にあげたように響きの美しさに対して、漢字派もいます。
 「埃及」(エジプト)が好きだと言う人がいる。
 これは漢字の美しさを見ているのでしょう。
 それはともかく、これからは好きな言葉を見つけたら
 自分の単語帳に書いておこうと思います。
 きっといつか、自分だけの美しい日本語集が完成するはずです。
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