服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第155回
フレッシュマンの不幸について

生まれてはじめてスーツを着た日のことを覚えていますか。
私は今でも明確に覚えています。
今からちょうど40年前のことです。
その頃すでに頭の中はおしゃれのことだけで一杯でしたから、
あれやこれや凝りに凝ったスーツを作ってもらったものです。

まず生地は深いミックス調のグリーンで、玉虫調の、
ちょっとやそっとでお前にかかれない代物でした。
シングル2つボタンの、スリーピース・スーツで、
チョッキはダブル前で襟付きというクラシックなデザイン。
今にして思えば気持ばかりが走りすぎた、
この上なく恥かしいスーツだったのです。

では、最初のスーツはいったいどうあるべきか。
ここでは一応、フレッシュマンのビジネス・スーツを
想定してみましょう。

理想であることを承知の上で申しますと、
それは「お父さんのスーツ」なのです。
自分の父親が着ているような、
あるいはかつて着ていたようなスーツでありたいなあ、と。
これはどういう意味なのか。
文化は伝承されるべきで、
ビジネス・スーツもまた父の代から子の代、
孫の代へと伝えられるのが理想でしょう。

ところが現実には我われ父の世代がしっかりとした、
正しいスーツを着ているわけではない。
一方、子の世代からすれば、
「おやじたちはなんて下品な、
つまらない服を着ているのだろう」と考えている。
少なくても父親のような服だけは着たくない。
あんな真似だけはしたくない。

つまり今のフレッシュマンの不幸は、
近くにお手本が存在しないことなのです。
なにをどんなふうに真似したら良いか、分らない。
これではフレッシュマンのビジネス・スーツが
不安定であるのも当然のことでしょう。
しかもこの傾向は今にはじまったわけでなく、
私が子供の頃から現在まで、ずっとそうだったのです。
理想のビジネス・スーツがどうあるべきかを話そうとして
脱線してしまいました。


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2003年2月25日(火)

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